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【1】【ゲストさんコラムその14】------2000/10/05------
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・皆さんからいただいた教育に関するコラムです。
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・みんなで教育コラムの輪をつくりましょう。
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■本日のゲストさんは、るなさんです。
 るなさんはお母さんです。
 るなさんは息子さん(中学生)とともに体験したことから、寄稿してくれました。
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【タイトル】「先生なんて、こんなもんや」
【テーマ】Kくんの不登校
【寄稿者】るなさん(おかあさん)
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■「先生なんて、こんなもんや」

また、怒りと悲しみで胸が張り裂けそうになることが起きた。
息子の通う中学での出来事。

その日の5,6時間目は文化発表会だった。
本年度から,まる一日費やしていた文化祭がなくなり、この文化発表会へと移行した。
文化祭と言えば日頃バンドやダンスに興味を持ってグループを組んでいる生徒達が
ステージに上がり思いっきり脚光を浴びる日だった。
その有志達のステージは放課後の生徒会主催のライブへと形を変えた。

現在,中2の息子が入学以来、仲良くしている友人達の一人にK君がいる。
K君は一年の終わり頃から学校に来なくなった。
それでもつきあいは途絶えることなく
息子達も学校からK君に電話をしたり休日に遊んだりしている。

K君はギターが上手で週末に駅前で路上ライブをし、
毎回、応援に息子達も駆けつける。楽しいひとときのようだ。
生徒会長をしている息子はそんなK君に
生徒会主催ライブに参加してもらいたいと出演枠をとっていた。
数日前から頻繁に連絡をとり、K君が学校に来るきっかけを作っていった。
当日も何度か電話したらしい。

K君は文化発表会の終わり頃、学校に来た。ギターを持って。
その時の息子達の喜びとその後に起こった事への情けなさを思うと、
こうして書いている今もくやしくて涙が止まらない。

登校してきたK君を見つけた先生がK君を別室へと連れていった。
そこでK君はいままでの不登校とその日の登校についていろいろ聞かれた。
「ライブに出るために来た」と言ったK君に先生は「出るな」と言った。
K君が解放されたのはライブのすべてが終わってからだった。

息子達はK君がステージに出てくるのを観客席でずっと待っていた。
先生に別室へ連れて行かれても
ライブが始まる時間には体育館に戻ってくるだろうと待っていた。
「出るな」と言われているとは夢にも思わなかった。
放課後に行われる生徒会主催の行事にまで
先生の権限が行使されるとは思っていなかった。

「いったい、どうしたんや?」と聞いた息子達に
「今までのこといろいろ聞かれて、ライブに出るために来たと言ったら
出るなって言われて出してもらえんかった」そう言ってK君は帰っていった。

息子は学校のことはほとんど話さない。
珍しく、淡々と語り「最悪や」と締めくくった。
「歌えてたら、それがきっかけで、また学校に来ることになったかも知れないのに」と
言葉を詰まらせた私に「何回も電話したのにな」とつぶやいた。

「不登校についてどう思う?」
このことが起こる3日前に息子に尋ねられたのを思い出す。
「本人がそれでいいなら別に良いと思うよ」と答えた。
「単純でオカンらしいな」と息子は言った。
その時の話しぶりからは「でも、、いろいろあるねんで」という言葉が感じ取れた。

息子がK君の不登校についてどう思っているのかは聴いていない。
下校時刻を過ぎても一緒にワイワイやってた頃のようにまたやりたいのかも知れない。
大切な友達だから一緒にいたいのかも知れない。
きっかけさえ作ればK君は来ると感じていたのかも知れない。
学校に行く行かないはK君が決めることだと知っている。
でも、K君を待っている息子達は自分たちのやり方でK君を学校に引っぱり出した。
ライブだけ出て、またK君は不登校を続けたかも知れない。
息子達はそれでも良かったんだと思う。

ただ、確かなのは、「先生が子ども達の努力をぶち壊した」ということ。
「先生が子ども達のこころを踏みにじった」と言うこと。

先生には先生の考えがあって、そこに「教育」があったんだろう。
子ども達の視線まで降りて、胸を引き裂かれるような思いがなかっただけで。

このことによって先生が教えたかったことは何なのだろう?
K君と息子達は何を学んだのだろう?
何を得たのだろう?

彼らはまた、今までと変わらず、つきあっていく。
彼らは立ち止まらない。
「こんなものさ」と前に進んでいく。

私達大人は子ども達からいくつの「思い」を奪い,
どれだけの「あきらめ」を与えていけば気が済むのだろう。

私はただ息子の言うところの「単純なオカンらしさ」で
怒り、悲しみ、悔しがることしかできない。

そんな私に息子は言った。
「先生なんて、こんなもんや」と。

(了)
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【5】編集人ひとこと
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僕は大人は「あんパン」だと思っています。
みんな子供時代という「あん」を真ん中に持っています。
そして長い年月や体験を通して、「あんパン」になったはずです。
けれども、僕は時々、すかすかの「あんパン」になってしまいます。



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