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■■■■■■【ゲストさんコラムその3】■■■■■■
・皆さんからいただいた教育に関するコラムです。
・教育の複眼づくりにご協力下さい。
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■本日のゲストさんはKさんです。
Kさんは中学校の社会科の先生です。
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【タイトル】「時代は変わり始めている」
【テーマ】教科書
【筆者】Kさん
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「時代は変わり始めている」(教科書) --Kさんのコラム
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教科書信仰は根強いですね。父母だけではなく教師にも根強い。というより、教科書
以外では学んだ事がないのではないでしょうか。教科書をもう少し広くとらえて、授
業で教師が使用する書籍と考えれば。
大学の講義ではよく参考書籍が示されます。これも教科書の一種と考えれば、今ま
での学校では「教師が教える事が絶対」だと捉えており、学生は教師が教えることを
身につければ良いということで、師の教えを疑うなどと言う事は言語道断だったので
はないでしょうか。自分の体験で言いますと、私は結構自分で自分の興味のままに学
んできました。中学高校時代は復習ではなく予習中心でした。ですから授業中に教師
が話す内容はほとんど理解済み。教科書から離れられない教師の話など面白くもあり
ませんでした。したがって自分の興味のある事は授業に関係なく面白そうな本を次か
ら次へと読んでいました。これは今も同じですが。
若い教員たちの中で優秀な人でも「先生が教えてくれた本」は読んでいるが、自分
で探して読んではいないことに最近気がつきました。これも教科書信仰ですね。
でもこの傾向に少しずつ変化が見られます。文部省自身が変わり始めています。今
までは教科書は「主たる教材」だったのが最近は「主たる教材の一つ」へと変化して
います。これが「教材の一つ」「資料の一つ」と変化すればそれは教科書がなくなっ
たことを意味します。昔先輩から「教科書を教えるのではなく教科書で教えろ」と良
く言われました。つまり教科書は資料の一つなんだと言う考え方です。今やっとこの
考え方に向かって1歩前進し始めたのではないでしょうか。独創性を重んじる教育に
は金科玉条としての教科書など邪魔なわけですから。(前回の総選挙のときに自民党
が高校教科書の検定廃止」を公約に掲げようとしました。つまり義務教育ではないの
だから自由に教えろということです。結局は文教族の反対でつぶれましたが、自民党
の中の「改革派」は、今でもこの考え方だと思います。時代は確実に変化していま
す。)
縄文土器が弥生土器よりも芸術的なのは「道具が霊的なもの」と捉えていた時代だ
からでしょう。弥生時代は道具の機能性を追及する時代です(現代は機能性と芸術性
を両立させようと言う時代ですね)。縄文時代でも後期になればなるほど霊的な表現
は薄れ、機能的な(つまり画一的なデザイン)に変化しています。これはおそらく社
会がより呪術的な神との共存の時代からより人間的な神の没落の時代への変化だとも
思います。
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