「へき地教育を知らないお前は不幸だぞ。」というのがその友人の口癖です。
理由はこうです。
「春を待つ楽しみが100倍も200倍も違うぞ。
大人の自分でさえ、そうなんだから、子ども達は1000倍も2000倍も違うんだ。
そんな中での新学期はひと味違うぞ。」
厳しい冬を乗り越えるへき地での教育。
彼が目を向けているのは、その「忍耐強さ」よりも「春到来の喜び」なのです。
子どものどこに目を注ぐのか、これは重要な教育のポイントなのでしょう。
その視点の場所によって教育観が大きく変わってくることは間違いないでしょう。
これは、どちらがいい悪いの問題ではありません。
教育観という感性を磨けているかどうか、なのだと思います。
これは非常に悔やまれることなのですが、僕はそこまでの感性を持って教壇に立っていませんでした。
僕の住んでいる町は3月中旬だというのに、もう菜の花がいっぱいです。
レンゲもそろそろ見ることができます。
ふきのとうは、とっくに開いています。
比較的穏やかだった冬は確実におわり、これまた穏やかな春が来ました。
僕が待つ春はたしかに、100分の1の楽しみかもしれません。
しかし、親として確実に1つ成長した子ども達を見る喜びは、けっして100分の1ではありません。
話は少し変わりますが、僕は体力や気力が確実に衰えてきました。
「そんなことはない。」と自分で思いこもうとしても、目の前にそういう現実があります。
つい何年か前までなら、楽にできていたことができなくなっています。
いわゆるチャレンジ精神なんてものは非常に希薄になってきました。
けれど、感性はまだまだ磨けそうな気がするのも事実です。
教員としてできなかった感性の成長を、親として味わってみたいのです。
「春休みになったら菜の花摘みに行こうね」と言った娘との約束を果たす春が来ました。
(了)
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