そのおじさんは、「ふれあい動物広場」の飼育係さんです。
60歳前後かなあ・・そのくらいの年齢に見えました。
「はっきり言ってショックだったねえ。
一人、二人じゃないんやから・・。
なんぼ、孫がかわいいからっていってもねえ。」
その動物広場は、連休明けに閉鎖されてしまっていたのです。
「岩場に隠れているウサギをつつくんやから・・。
そこに、植えてある木の枝を折って・・。
それも僕より、年上のじいちゃんがよ・・。
自分の孫に抱かせたいんやねえ。
ウサギを追い出したいんやね。
だからといって、年寄りがよ・・。
子どもがするんなら、まだ、わかるよ。
でも、それを叱るんが、年寄りの役目やないの?
ウサギをいじめちゃいけんぞって言うのが年寄りの役目やないの?
僕らから言わせれば、動物虐待やね。
若い親はもっとひどい・・。
子どもや孫ももっとひどい・・。
これが、現実なんやねえ・・。
連休中に毎日、ウサギが死んでいくんよ。
2羽ずつね。
とめることができん僕らも情けないよ・・。
でも、このままだったら、ウサギがかわいそうで・・。
そういうわけで、閉鎖させてもらったんよね。
ごめんね、せっかく、来てくれたのに・・。
柵の外からだけど、じっくり見ていってね。」
おじさんは、申し訳なさそうに僕たち家族にそう言ってくれました。
「敬老の日」をずらし、連休の1日にしようという案がでています。
「記念日」でも「感謝の日」でもない、日本では唯一の「敬う日」。
戦後の混乱を知る「お年寄り」という世代。
実は、僕らの子育てや教育という大きな流れの針路を示してくれるのは
「お年寄り」なのかもしれないです。
ひょっとすると「おじいちゃん・おばあちゃん」の自信が今ほど必要な
時代はないかもしれないです。
日常から薄くなっていくような気がする「敬う」という感性・・。
おじいちゃん、おばあちゃん、僕らに力を貸してください。
閉鎖された動物広場の門。
それを、開放するには、おじいちゃん・おばあちゃんの言葉が必要なの
かもしれないです。
そして、僕も、そんな年の取り方をしたいです。
(了)