パソコンがどんどん学校現場に導入されています。
あちらの学校には何台、こちらの学校には何台、というふうに競争のようです。
また、あちらはまだ「DOS」機器、こちらは「Windows」などのように新しさを求め続けています。
教員達もその操作の方法や利用の仕方などの研修にかり出されています。
「これからはパソコン抜きでは教師は務まらない」などと僕の友人の現職教員も言っています。
まさにコンピューターという先端情報機器は黒船の如く学校現場を襲いました。
そして「情報教育」という概念を確立させました。
パソコンは従来の教育機器と違い各家庭にもかなり普及しています。
(黒板やOHPはほとんどの家庭にないですよね。)
だから、子ども達の方が先生よりもパソコンに習熟している可能性が高いのです。
それ故に(特に年輩の)教員達は焦りや不安を抱き、研修に走り回っています。
僕は現場の教員時代のある時期(1987年から4年間)、市の助成を受け「パソコン教育研究」をしていました。
そのころは、パソコンとファミコンの区別さえつかない教員が多いという時代でした。
今でもそのころの研究仲間はパソコン教育を研究しています。
しかし、その頃からの疑問点は10年以上たった今でもまだ解決していないのです。
それは「パソコンを使った情報教育は、小学校という情操教育の場にふさわしいのか」ということです。
最近、「切れる」を乱発する情緒不安定な子ども達が増えてきました。
今こそ必要なのは「情操教育」に間違いありません。
充実したな「情操教育」があってこそ「情報教育」が生きるはずです。
少なくとも小学校では、あわててパソコンを導入するよりも、絵本、紙芝居などを充実させた方が賢明だと思います。