僕はNHKの紅白歌合戦が好きです。
近頃はこんな歌手がいたのか、って感じの出場者がたくさん出ていますが、お祭りムードで好きです。
出場歌手は知らない人が増えてきましたが、審査員はよく知っている人ばかりです。
よく考えたら審査員は歌の専門家って人はあまりいませんよね。
スポーツ界や作家などまったく畑違いの人も多いですよね。
「私なんて歌は苦手で苦手で、カラオケも歌えません。」なんて言う審査員もいたそうです。
それでも、歌手は誰も文句は言いません。
お祭りだってわかってるからだと思うんです。
また歌手個人に対する審査でもないから、目くじらを立てる人はいません。
けれど、もし、これが純粋に歌の技術を問う場だったらどうでしょうか。
出場歌手は、歌の素人の審査を良しとするでしょうか。
カラオケもしたことのない審査員の評価を受け入れることができるでしょうか。
おそらく受け入れないと思います。
それは傲慢ではなく、誇りだと思います。
長年築き上げた技術は、専門外の人の評価を必要としないと思うんです。
たとえ人気が出ない歌手であっても、その歌の技術には自信を持っていると思います。
それがプロだし、プロとしての誇りだと思います。
もちろん僕たち素人のファンが勝手に技術評価することは楽しみの一つではあります。
僕なんか野球が好きですから「ああ、今はカーブじゃなくて、直球だったのに。」なんて楽しんでます。
けれども、プロの選手の方から僕に「技術評価して下さい。」なんて言ってくるはずがありません。
ましてや「あなたの評価をこれからの私の野球技術の向上に役立てます。」なんてありえません。
また、言ってくれば「これでもプロ選手かなあ。」って思ってしまいます。
素人がプロの技術や理論に耳をかたむけることはあっても、逆はありえないのです。
福岡県のある中学校で保護者に授業を採点してもらう授業参観を行ったそうです。
学校側が評価項目を作り、4段階で採点してもらう、そんな方法です。
その採点結果は保護者に公表し、教師の授業研究の資料にするらしいです。
教員にとって授業はプロとして培ってきた技術や理論の実践の場なのです。
そこには、素人にはわからない布石や仕掛けを用意していることがしばしばです。
また簡単にわかってしまうような物では仕掛けになりません。
1時間の授業ではなく、何時間も後にその仕掛けがきいてくるような方法もあります。
たまには、みずから間違ったふりをする場合もあります。
わざと声を小さくすることもあります。
大小さまざまな技術の集大成が授業なのです。
保護者は家庭教育の専門家ですが授業は素人です。
ならば、なぜ、プロ授業者の先生がその授業の採点を素人に頼むのでしょうか。
しかも、今後の研究の資料にすると言います。
「授業を採点して下さい。」という言葉は謙虚に聞こえます。
保護者の要求に耳をかたむけますよ、という連携を模索しているようにも聞こえます。
新しい試みをされた校長先生はチャレンジ精神旺盛だと思います。
しかし、プロの教員は堂々と自身の授業についての技術や理論を保護者に語ってほしいと思うんです。
わかりやすく、熱意とプロとしての誇りを持って語って下さい。
保護者としての僕は、そういう先生を支持します。
また教員と保護者はプロ歌手とファンというような無責任な関係ではありません。
教員は一定の責任を保護者に対して負っていると言えます。
だから、どのように授業を計画し運営していくのかを語る義務があるとも考えられます。
もちろん僕たち保護者は先生を評価します。
その評価は「期待と願い、子どもへの思い」のつまった純粋なものです。
それは授業の採点のような形で現れるものではないと思います。
もっと自由に、点数ではなく、言葉で「期待や願い」が伝えられる機会を作ってもらえばいいのです。
保護者による授業の採点は、教員と保護者の連携の架け橋になるとは僕には思えません。