僕が小学生だった頃のことです。
算数の授業中にある男の子(安田くん)が先生にあてられたんです。
安田くんは学習が良くできる子で、簡単に答えるだろうと思っていました。
ところが、答えられないんです。
僕は、「ははあ、安田くん、よそ見でもしていて先生の質問がわからないんだな。」と思いました。
案の定、先生は言いました。
「安田、お前でも、よそ見ばっかりしちょったら、わからんやろうが。
いい薬じゃ。そのまま立っちょけ。」
僕は日頃から「頭がいい、悪いで、えこひいきせん、いい先生やなあ。」と思っていました。
だから、その時の先生の言動も正しいと思いました。
そして先生が続けたんです。
「安田、油断するなよ。
お前でも油断しちょったら、いつか特殊行きになるぞ。」
僕は何となく嫌な感じを先生に抱きました、だからこそ今でも覚えているのです。
僕の小学校には特殊学級というクラスがありました。
子供心に不思議なクラスだなあと思っていました。
何だか、よくわからないけれど、同級生の内、2,3人がそのクラスで授業を受けるのです。
全部の授業ではありません。
体育や音楽の授業の時間は教室に時々もどってくるんです。
いわゆる勉強のできない子達が行かされているんだなあと、うすうす思っていました。
先生達は誰も説明してくれないのです。
中には興味本位でその学級を見に行っている子どももいました。
ある先生は言いました。
「特殊学級をのぞきに行ったりしてはだめだ。特殊学級の人がかわいそうだろ。」
子ども達は明らかに自分たちのクラスとは異質だと思わされていたのです。
「特殊学級」という名前、「特殊行きになるぞ」という先生。
「のぞいてはダメだ。かわいそうだ。」という先生。
徐々に「特殊学級」は近寄りがたい存在になってきていました。
年数がたち、僕たちは中学校の卒業を間近に控える年齢になりました。
僕は安田くんと同じクラスでした。
ある日の放課後、教室に残った僕たちは数人でお別れ会の話し合いをしていました。
そこに突然、鈴木君が入ってきたんです。
彼は、いきなり安田くんに殴りかかりました。
とめようとする僕たちをふりきって何度も何度も殴りました。
「安田!!今までのおかえしじゃ!!ずっとずっと俺のこと特殊、特殊と馬鹿にしてくれたなあ!!」
鈴木くんの目には涙がいっぱいでした。
安田くんも泣いていました。
僕たちも涙があふれました。
鈴木くんにとっての卒業は安田くんを殴ることなしにはありえなかったのでしょう。
何の抵抗もできなかった安田くん、とめることができなかった僕たち。
鈴木くんが去った教室には何ともやりきれない雰囲気が漂いました。
安田くんと鈴木くんの悲しい関係を作り上げたもの、それは間違いなく学校教育です。
「特殊行きだぞ」と平気で言える学校教育です。
たしかに現在は教員の研修もすすみ、このような発言は少なくなっていると思います。
また「タンポポ学級」「あさがお学級」などいろんな名前で現在の「障害児学級」は運営されています。
さすがに「特殊学級」という言葉はなくなっていったようです。
ただ実際に一度も障害児学級を経験していない教員はたくさんいます。
僕はすべての教員は早い時期に障害児学級の担任を経験すべきだと思います。
その体験を例えば新採用5年以内に義務づけたらいいと思うのです。
多くの教員は40年近くを教員として過ごします。
最初の5年以内に「障害児学級」を担任すれば、残りの35年がより深まるのではないでしょうか。
文部省の企画するホテルやデパートなどでの研修では得ることのできないものをつかめると思います。
だから、文部省の目のつけどころは、奇妙なのです。
教員として本当に必要な体験は「世間」ではありません。
学校現場に、たくさんの必要とされる体験が待っているはずです。
それに気づかない限り、教員は「悲しい関係」を作り続けていくと思います。
(了)