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■「結果と成果」-2000/10/25-
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シドニーオリンピックのマラソン(女子の部)で優勝した高橋選手。
彼女に森総理大臣から国民栄誉賞が贈られます。
その決定がでた後「では柔道(女子の部)の金メダリスト、田村選手はどうなる?」
という声があがってきました。
あわてたかのように、田村選手には総理大臣顕彰が贈られることになりそうです。

なんだか、どたばたしていて「彼女たちもたまらないだろうなあ」・・
そう思ってしまいます。

国レベルのことは、よくわかりませんが、これを家庭でのことにあてはめると、おか
しなことになると僕は思うんです。
教員をやっていた体験からもおかしいなあと思います。

「ほめる」ってことは、子ども達を育てる上でとても有効な手段であることは間違い
ないでしょう。
僕ら大人も、自分が子どもだった頃のことを思い出せばすぐにわかりますよね。
「ほめられる」と調子に乗ってやっちゃうってことが、よくありました。

僕は新卒の教員になった時、考えました。

子ども達を「ほめる」ってことは大切だ。
ということは、「ほめる」場合と「ほめない」場合をきっちり自分の中で分けておく、
そんな必要がある。
そう考えたのです。

抽象的に考えるのは苦手だったので、ある場面を想定して考えました。

跳び箱の苦手な子が練習している。
何度も何度も跳び箱に挑戦している。
僕はその挑戦ぶりを「ほめたい」・・そう思いました。

その子が、とうとう跳び箱をとべた。
その場面を考えて、僕はやはり「ほめたい」と思いました。
でも、それはおかしいとも思いました。
とべたという結果は結果でしかない、そう考えたからです。
その結果は極論すれば「神のみぞ知る」ところです。
僕がサポートしている所は挑戦する過程だけでしかないと考えたからです。
だからとべたという結果を「ほめては、いけない」・・そう結論づけました。

では、とべたという事実に、僕は無視をきめこむのか?
いいえ、そうではありません。
僕はこう考えました。

克服していこうとする「過程」をほめる。
しかし、その後の「結果」については、ほめない。
もし、とべたという「結果」がでたならば、僕は子供と一緒に祝おう。
そう決めたのです。
それからずっと、そうしてきました。

親としてもそうしてきています。
努力には「えらいなあ、すごいなあ」と我が子ながらも思うこともあり、
そう支援します。
しかし、結果には「すごいなあ」とは絶対に言いません。
「おめでとう」としか言わないのです。

「結果」をほめないことによって、過程を含めたすべてが「成果」になると思うの
です。

また、子育ての場面においては、「国民栄誉賞」のように、金メダルという結果か
ら、その努力や経過を賞してはいけないと思います。
ベクトルが逆なのです。

結果のでた努力が報われるのではなく、
努力のすべてが成果だと、子ども達に伝えたいです。

(了)



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