少年による暴行犯罪が起こった場合、必ずと言っていいほど語られる意見です。
多くの教育評論家によっても述べられた考え方です。
また、この論理はかなり一般的になってきた感があります。
みなさんも1度くらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。
つい先日もある評論家さんが同じような意見を述べていました。
実は、僕はある「けんか」を目撃したことがあるのです。
それは高校生の頃でした。
2度、救急車が呼ばれるような「けんか」を目撃したのです。
いえ、正確に言うと、そのけんかの場面を直接見たわけではないのです。
けたたましくなる救急車のサイレンの音で知ることとなったのです。
両方とも1対1のけんかでした。
そして1度は血こんが生々しく残る、ぞっとするような現場でもありました。
まったく別のところで起こった2回の殴り合いなのですが、実は・・。
実は、その2回には共通点があったのです。
それはけんかの当事者たちについてのことです。
4人のけんかの当事者たちは、全員「けんか慣れ」していた学生だったのです。
小学校、中学校を通じて、何度も何度も「けんか」を繰り返し、育ってきていた
、そんな子ども達だったのです。
けんか経験が豊富な彼らが、重大な「事件」を起こしてしまったのです。
この評論家さんが言うように、本当に、けんかの経験が豊富にあると、
「ここまでならいい」という程度を把握できるようになるのでしょうか?
けんか体験から「これ以上やってはいけない」という限度を学べるのでしょうか?
僕は、自身の目撃からも、それは間違っていると思います。
僕は「けんか体験」は、程度や限度を教えてくれるものとは思えません。
むしろ、場合によっては、エスカレートした新たな「暴行」を生み出すおそれも
あると考えています。
そして、それ以前にです・・。
それ以前に、「ここまでだったら許される」というような暴力がありますか?
そんなものは、ありはしません。
それは、暴力をふるった側の甘えだと思います。
暴力に対する甘やかしだとも思います。
少年の暴行犯罪も、もちろんいけません。
しかし、「けんか」だっていけないのです。
僕が「けんか」をしてしまった子に学んでほしいことは、暴力の程度や限度では
ありません。
そんな、あいまいな暴力への妥協ではありません。
その悲しさや恐ろしさです。
暴力への全否定なのです。
そして、それは体験しなくとも理解できるはずです。
人を殺したことがなくても命の大切さは理解できるように。
体験なしで学ばねばならぬこと、その中にこそ重要なことがあるのではないでしょ
うか。
そして、体験せずとも学べるということが知恵なのではないでしょうか。
僕はこの点で、評論家さんの「けんか」に対する教育観を否定せざるを得ないのです。
(了)