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【1】「今昔物語」-2001/01/16-
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携帯電話の加入者数が自宅にある据え置き電話のそれを抜いたそうです。

テレビ番組でそのことについて若者にインタビューしていました。
そうですねえ、17,8才くらいでしょうか、女の子のグループでした。

その子たちがこう言ったのです。
「携帯なしの生活なんて考えられない。
 携帯がないと、どうやって友達と遊ぶ約束するの!
 絶対できないよ。
 昔の人って、どうやって会う約束とかしてたんだろ。
 不思議だよね。」

それほど、携帯は青年達の必需品になっていこうとしています。
確かに、若者に限らず、すごい勢いで普及しています。
僕のまわりにも持っている人がたくさんいます。
僕は、その普及のスピードにも驚いていますが、もっと驚いたことがあります。

それは、インタビューの子ども達の言葉にありました。
携帯が普及してきたのは、ここ2,3年のことです。
それまでは、そんなに持っている人も僕は目にしませんでした。
その、たった2,3年前のことを彼女たちは「昔」と言ったのです。

もちろん、意識して厳密な意味でいった言葉ではないでしょう。
しかし、彼女たちの思考の中に2,3年前を「昔」とできる意識があったのも事実
だと思います。
僕のような携帯を持ったこともない人間は古代人みたいなものかもしれないです。

考えれば、僕もついつい口にします。
「今の人たちは・・。」
さらに僕の父は、その僕にさえ「今の人たちは・・。」と言います。

でも・・。
考えれば、今日おぎゃあと生まれた赤ちゃんも、若者も、そしておじいちゃんも確
実に「今」を生きています。
みんな「今」を生きるの人間ですよね。

それを僕たちはどこかで色分けしてしまっています。
同じ「今」を共有できるはずなのに、「今の人」と「昔の人」に分けてしまっていま
す。

僕はよく言います。
「昔はよかった・・。」
でも、それは実は責任放棄かも知れません。
今も昔も「いいことはいい」はずだし、そうでない「今」をつくっているのは「今の
僕」であるのは間違いないです。

「今」を作っている自分・・。
忘れていました。

(了)



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