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【1】「みんなで決めたこと」-2001/05/24-
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「ハンセン病訴訟、国が控訴断念」・・今日の朝刊の見出しでした。

「うーん、ホントによかったなあ・・。」これが僕の感想でした。
今日までにテレビ報道などで患者さんの苦しみを少しずつ知りました。
そして、このような状況で国が控訴するなんて、とんでもないことだと思って
いたのです。

だから、一安心しました。
安心したがために、ここで、僕はひょんなことに気づいたのです。

「あれっ、じゃあ裁判で負けたのは、誰なんだろう」って思ったのです。

新聞の写真を見ると、小泉総理が患者さんと握手しています。
握手と言うより、手を握って励ましているかのようなシーンです。

大方の報道の論調は「さすが小泉総理」という感じでした。
僕も、同感でした。
けれど・・。
けれど、よく考えれば、小泉総理は裁判で負けた国の代表なのです。

罪有り、と認められた国のトップなのです。
そのトップが、あたかも英雄のような感じです。

そして、国が負けたと言うことは主権者である僕にも罪があるはずです。
けれど、その僕は「よくやったぞ小泉総理」というような感覚です。

賠償金だって、税金の中から支払われます。
総理や僕の財布から直接払うわけではないです。
そして、皮肉にも患者さんの税金の中からも払われます。

誰が敗者なのか、僕には、まったくわからないのです。
そして、敗者がはっきりしないということは、もしかすると同じような過ち
を繰り返す可能性を示唆しているのかも知れないです。

ここに民主主義と言われるものが生み出す無責任さがありはしないか・・。
そう思ったのです。

「みんなで決めたことだから、みんなの責任ね。」というあいまいな責任の
取り方が、良しとされているのではないか・・。
あれだけの患者さんの苦しみを作り上げてしまった責任はどこにあるのか。

患者さんに対して、あれだけ長い間、拷問同然の隔離をしてしまったのは
「みんなで決めたこと」だったわけです。

僕は「多数決」とか「民主主義」とか「みんなで決めたこと」について、あ
まりにも大きな信頼を置いていました。
しかし、今回はっきりと知りました。
「みんなで決めたこと」だからこそ、大きな間違いを犯すことがあることを。
「みんなの責任」は、非常にあいまいなものでもあることを。

戦争を知らない僕らの世代・・。
子ども達へ伝えることのひとつに、僕は今回の裁判を入れたいと思います。

(了)


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