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「年齢というフィルター」 -2000/05/08-
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連休中に痛ましい事件が起きました。
見ず知らずの夫婦殺傷そしてバスの乗っ取り・殺人。

両方とも僕たちを震撼させる恐るべき犯行でした。
被害にあった方々はどれほどの恐怖であったか、、。
僕など想像もつかないものであったことでしょう。

僕が見た報道では、犯行の内容もさることながら、犯人の年齢が大きく採り上げられていました。
いわく「17歳、衝撃の犯罪」、「なぞの暴走17歳」「まじめで優秀17歳、いったいなぜ」など。

当初、僕も「なぜ17歳の子どもが、、」と驚きました。
しかしです。
しかし、よく考えると、この犯行は17歳だから恐ろしいのではありません。
何の関係もない人間を平然と殺してしまう、その犯罪性に恐怖があるはずです。
だから、たとえ20歳の人間が同じことをしても、身も凍る恐怖の犯罪であるはずなのです。
また被害者から見れば犯人の年齢は何の関係もないはずなのです。

しかし、僕を含め、多くの人が「17歳の少年の犯行とは思えない残忍性だ。」と考えてしまいます。
だから、マスコミもその点に焦点をしぼった報道をしています。

実はこの考え方が誤っているのではないでしょうか。

何を持って僕たちは17歳を子どもだととらえたのでしょうか。
武士の時代にも元服という成人式がありました。
11歳から17歳くらいの年齢で、いわゆる成人とされたということです。
つまり、わずか150年前なら、彼らもりっぱな大人扱いをされたはずなのです。
なぜ、科学・情報などの社会システムが発達してきた現在、彼らを子ども扱いしてしまったのでしょうか。
本来なら、逆のような気がするのです。
つまり、より一人前とされる年齢が低くなっておかしくないと思うのです。

考えてみて下さい。
義務教育を終えて、社会に出て働いている17歳もたくさんいるのです。
彼らを見れば「17歳イコール少年」と単純に結びつけることはできないという気もします。

僕たち大人は彼らと責任を分かち合う時がきているのかも知れないです。
義務教育年齢を終えた時点で、例えば彼らにも選挙権を持ってもらったらどうでしょうか。
彼らなら、いわゆる金権・腐敗、利益誘導とは違う政治を生みだしてくれるかも知れません。
そして、その若い力が生み出す社会は、高学歴社会や競争至上主義ではない社会かも知れません。

そういう目で17歳をとらえた時、この犯罪の恐ろしさがより鮮明になると思うのです。
年齢というフィルターは今回の犯罪の焦点をぼかしかねないような気がします。

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