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「入学おめでとう」を考える 1999/11/13
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「入学おめでとう」

小学校の入学式におけるこの決まり文句からいわゆる義務教育が始まります。
私も教員時代この言葉をいくたびも使ってきました。
そして心の底から「おめでとう」と思っていたのです。

しかし、「いったい小学校入学式の何がめでたいのか?
と改めて自身に問い直してみた時、
はっきりとした答えが出せないことに気がつきました。

ほとんどの子どもは、自分が住んでいる学校区の公立小学校に強制的に入学させられますよね。
校区内に住んでいるという地理的条件だけが、
義務教育9年間という長い貴重な時間を費やす環境の決定要素なのです。

これって本気で考えると大変に恐ろしいことだと思うのです。

これから通う学校にどんな先生がいるのか、
どんな教育方針なのか、
そんなことは全くわからないですよね。

また今後「いじめ」があろうが「校内暴力」があろうが、どんな問題があろうとも、
そこに住んでいる限り「がまんしてその地獄のような学校に通い続ける」しか方法がないのです。

特に私立小学校の少ない地方においては、行きたい学校を選ぶ手だてはゼロに等しい。
教育を行う上で「環境」はもっとも配慮しなければならないことの一つです。
その環境に対して選択の自由がない上に、
保護者にとって学校に通わせることは「義務」だというのです。

「入学おめでとう」と頭から信じ切っていた私こそ「おめでたい人間」だった気がします。

逆に言うと「入学おめでとう」と責任を持って言えるようなシステムを作ることが肝心だということです。

自分の選んだ学校に入学できる
この当たり前のことが当たり前に出来るように、
私たちはシステムを作り直すべきです。

そう考えています。

(了)


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