僕は家庭と学校の関係を「お皿とスプーン」の関係だと思っています。
家庭がお皿で、学校がスプーンなのです。
子ども達は教育というスープを飲みます。
お皿(家庭)に入ったスープをスプーン(学校)を使って飲むのです。
自分にぴったりのスプーンならスムーズに飲むことができるでしょう。
けれども、しっくりこないスプーンなら落としてしまうかもしれません。
もちろん、また拾って飲み直すかもしれませんね。
しかし、「やっぱり、このスプーンは合わないや」って子もいるかもしれません。
そして、飲むことを中止してしまう子もいるでしょう。
でも、何も心配することはないと思います。
お皿さえしっかりしていればスープはこぼれずに残っているからです。
「学校に行きたくないよ」っていう子どもの言葉は、
子どもにスプーンがあっているのかどうか考えるチャンスだとも言えます。
そのスプーンは大きすぎたり、重すぎたり、豪華すぎるのかもしれません。
ひょっとするとギザギザしていて、無理に使うとけがをしちゃうかもしれないです。
もっとぴったりのスプーンを探せばいいじゃないですか。
スプーンがみつからなければ、お皿から直接飲むことだってできるわけです。
スプーンなしでも何の問題もありません。
肝心なことは、お皿の存在だと信じています。
そして、スープのあたたかさを保てるようなお皿でありたいと思っています。
合わないスプーンに固執することは無駄なことだと思います。
ただ、多くの先生達が「一人一人の子どもに最適のスプーンを提供したい」と
努力してくれていることも忘れてはいけない事実だと思います。
子ども達はスープを飲みほした後、新しいお皿を見つけ、
新しい料理を自ら作り出すでしょう。
現在のお皿である保護者にとって、その日はそんなに遠くないんじゃないですか?
(了)
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