「踊りの先に(2)」   その(1)

 文部省が学校現場へのパソコン導入を強力に押し進めています。
義務教育である小中学校にも多くの予算が計上されました。
規模の違いはあれ、今やほとんどすべての小中学校に設置されているような状況です。

 僕の周りの多くの保護者達は歓迎ムードです。
そして「パソコン使えなきゃ教師もやっていけない。」というような保護者の発言も耳にしました。
それは1度や2度ではありません。

 結果として教員はパソコン研修にかり出されることになってきます。
いや、既に多くの研修会が行われています。
教員採用試験の実技に「パソコン操作」が導入された都道府県もあるんです。
だから本当に「パソコンできなきゃ先生にあらず」になってきたんですね。

 先日、定年退職された先輩の先生が自宅に遊びに来てくれたんです。
その時、先輩はこう語りました。
「いい時期にやめたよ。今さらパソコンの勉強させられたんじゃ、たまらんからなあ。
 そう言えば、昔あんたからパソコンせえ、せえ言われよったなあ。」
「はい、その節はすみませんでした。大変ご迷惑を、、。」
僕は恐縮してしまいました。
「いや、いや、あんたの言った通りの時代になったなあ。」

 確かに「時代」は来ました。
僕たちの生活はコンピューター抜きでは語れなくなってきています。
企業はもちろん、家庭においてもそうです。
コンピューターの2000年問題は深刻な問題として僕たちの生活を脅かしました。
ガス・電気・水道などのライフラインでさえも危ないと伝えられました。
僕もこうやってインターネットを利用してコラムを発信しているわけです。

 しかし、しかしです。
「社会」にパソコンが入り込んできたということと「学校」に入ってくるということは違うと思うんです。
どうも現在の様子を見ていると、学校現場が踊らせれているという感じがするんです。

 文部省の指示のもと、パソコンが導入された学校では研修が進められています。
それは「どのようにパソコンを利用していくか。」って研修なんです。
つまり、パソコンが必要だから導入したのではないのです。
とにかく導入した、使い方は後で考えよう、なのですね。
普通の感覚からすると逆でしょ。
経理に必要だから、とか、顧客管理に便利だからパソコンを使おう、などの「必要性」が先にあるはずです。
少なくとも義務教育の学校現場はパソコンに「必要性」を感じていなかったのではないでしょうか。

 僕の友人の教員が勤める小学校には昨年パソコンが導入されました。
しかし、一年間で3回以上パソコンを利用した学級は18クラス中4クラスしかなかったのです。
もし「必要」ならばこんな数字は出てくるはずがありません。

 現場からの「必要性」がないのに、なぜ文部省はやっきになって導入するんでしょうか?
「家庭で楽しむためにパソコンを使う時代になってきた、だから小学生のうちから教えよう。」
そんな発想は行政サイドからは絶対におきないのです。

僕は極論すれば企業戦略・国家戦略のためにパソコン導入があると思うんです。
「これからの社会は情報化社会だ。」
「だから社会に出ればパソコンが必要だぞ。」
「がんばらなければ、よその先進国との情報競争に勝てないぞ。」
「子どもといえども、時代に乗り遅れちゃ大変だ。」
「だから小学生のうちからパソコンだ!!」

 明治時代の学校は軍事教練によって高い能力の軍人・軍事戦略家を作り出しました。
平成時代の学校はパソコン教育によって高い能力の企業人・情報戦略家を作ろうとしている。
そんな感じがしてしまうのです。
そして、そのような教育は、すべての子が学ぶ義務教育には不必要だとも思っています。
高校以上の選択教育でするのが妥当だと思います。
義務教育には、もっともっと大切な教育がたくさんあると思うんです。

 社会におけるパソコンの普及は仕事の処理速度を極端に高めました。
しかし、その分、楽になったかというと決してそう言い切れるものではありませんでした。
新たな仕事が増えたり、人員削減につながったり、個人を苦しめることもしばしばでした。
 パソコンは決して夢をもたらすだけの物ではありません。

 少なくとも僕たち保護者は無批判にパソコン導入を喜んではいけないと思うんです。

(近いうちにパソコン教育研究における僕のかつての仲間の主張も紹介します。)



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