「ペリーよ早く(1)」-2000/1/16-

 3学期になると卒業や終了が視野に入ってきますね。
子どもたちにも「何となく終わりが近いなあ」って雰囲気が漂ってきます。
春に撮影したクラス写真を見て、「成長したなあ。」なんて感じたりする頃です。

 しかし、教員時代の僕にとっては3学期は「あせりの学期」でもありました。
とにかく進度が気になって仕方ないのです。
3学期は終われば次の学年になっちゃいますから、やり残しは許されません。
1,2学期のように次の学期で取り戻そうなんてことができないんです。

保護者の方にはわかりにくいかも知れませんから、具体的に述べます。
実は僕にとって歴史の学習が遅れてしまいがちでした。
教員は1学期の始めに年間の指導計画を立てるんです。
これは、すべての先生がすべての教科で立てます。
簡単に言うと1学期は平安時代まで、2学期は江戸の中頃まで、3学期は現代までというような感じです。
指導計画通りに行けばいいのですが、そうは問屋がおろしてくれない場合が多かったんです。

計画の上では自由民権運動の学習の時期なのに、まだ授業では黒船がやってきてない。
そんな時は大変です。
「うわー、ペリー早く来てくれー!!」って叫びたくなるんです。
「いったい何年遅れてしまったんだ!!大変だあ。」って焦りの境地に突入です。

どうにも困った教員ですよね。
もちろん3学期になって急に遅れるわけではありません。
1,2学期の頃から前兆はありますよね。

 結局、現代史は読んで説明をするだけなんてことになってしまったんです。
だから、現代人として絶対に必要な「戦争や憲法の学習」がおろそかになってしまったんです。
そして、日本国憲法よりも聖徳太子の17条憲法の方に詳しい子を育ててしまったんですね。

 先日、友人の現役教員5人と話をしたんです。
僕はこの歴史の失敗を話しました。
するとです、5人が5人とも同じような苦い経験をしていたんですね。

 そして一人がこう言ったんです。
「考えたら自分たちが子どもの頃の授業もそうだったよな。」
「そうそう、やっぱり、現代史は駆け足で習ったような気がするな。」
「うん、うん。」
やっぱり、全員が同じ経験をしていたんです。

 つまり僕と5人とその子供時代の担任6人はみんな歴史の授業で遅れてしまってたんですね。
こうなると、一概に担任の指導技術の甘さで授業が遅れていたとは言えないような気がするんです。

そして僕たち6人はある推理をはじめたんです。

(その2に続きます)



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