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■「昨年同様」 -2000/04/26-
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家庭訪問の季節がやってきました。

僕も9年間の教職体験中、300軒ぐらいのお宅を訪問しました。

言うまでもなく保護者と教員がコミュニケーションをとる、ということは非常に重要なことです。
これから1年間の教育方針を作っていく上で、最初に話し合うことはその後に大きな影響を与えます。
だから、多くの学校が4月から5月という1学期の始まりに家庭訪問を企画します。

ただ、これは僕の経験なのですが、時間が短いのです。
だいたい、どの学校の家庭訪問でも20分前後しかとれないのです。
みなさんの学校ではどうですか?
移動時間などの関係で20分が「相場」になっていませんか?

たった20分間でいったい何が話し合えるのでしょうか?
多くの場合、教員と保護者はその時が初対面です。
「はじめまして。」や時候のあいさつから話が始まりますよね。
お茶やお菓子を用意している家庭もあります。
結局、話し合う中身としては15分ぐらいでしょう。

自身の反省をこめてあえて問いたいのです。
これでは「お茶を濁す」程度ではないでしょうか?

そして、もっと根本を見つめれば、はたして「家庭」で話す必要があるのでしょうか?
もちろん、担任が子どもの家の位置を知っておくことは重要というより義務です。
どんな事故が起きるかも知れませんから、その場所を把握しておくことは絶対に必要です。
「家の位置」は必要な情報ですが「家の中」は必要な情報なのでしょうか。
家庭で話すということは、その中の情報を1部でも知ってしまうことになるのは間違いないですよね。

「家の中」、どうしても僕には必要な情報だとは思えないのです。
つまり、家庭で話す必要はないのではないか、と問いかけてみたいのです。
教員と保護者が語り合うことは大切です。
しかし、その話し合いの場所は家庭に限る必要があるのでしょうか。

もしかすると、家庭の中を見せることに抵抗のある保護者もいるかもしれません。
しかたなしに先生を待っている家庭もあるのかもしれません。
家庭でしか話せないこともあるかもしれませんし、家庭への訪問を望む家庭だってあります。
いろんなケースが考えられるはずです。

「今後の教育方針について話し合いを持ちましょう。
 場所はどこにしましょうか?
 学校がいいですか、家庭がいいですか?」
というような感じで進めていった方がいいのではないでしょうか。

そうすれば、膨大な時間を割く移動時間が少なくなり、より十分な時間を確保できるかも知れません。

誤解しないで下さいね。
僕は「家庭訪問」が悪いと言っているのではありません。
また多くの教員が限られた時間の中で何とか有意義な話し合いを持とうとしていることも承知しています。
ただ、家庭に限らず、有効な話し合いの場所を探ることが必要ではないかと言っているのです。

たくさんの学校行事は、「昨年同様に実施します」から脱皮する必要があるのかもしれません。

(了)



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