「小学校選択制度」 1999/12/2

 長野県の佐久市は来年度小学校入学に際して一部ではあるけれどとなりの学校に通っても良いとしました。
将来的にはどこの学校に入学するかを選択できるようにする方針らしいのです。
 東京都の品川区が先頭をきって取り組み始めた義務教育における選択制が広がりつつあります。

 僕はこの選択制度に大賛成なのです。
では、現場の教員達はどんな反応を示しているのでしょうか。

 僕の友人の教員たちはこう言いました。
「一番の問題は各小学校間に変な競争意識が起きてくることだ。」
「小学校の人気コンテストみたいになってしまう。」
「教員もアイドルの人気投票の対象になってしまう。」

どうやら大反対のようです。

そこで、僕は言いました。
「じゃあ、現行のようにそこに住んでいると言うだけの理由で学校を決められてしまうのがいいのか。」

するとこう言うんです。
「それが保護者にとっても平等でいいじゃないか。」

「でも、どの保護者も学校が選べるなら、それも平等じゃないか。」と言うと黙り込んでしまいました。
日頃は冷静な判断を下せるのに、この学校選択の問題には平常心で語れないようです。

 結局、僕の友人も含めて「教員や学校が選ばれる側に回ること」を恐れているんだと思います。
自分たちや自分の勤める学校が選ばれなかったらどうしよう、と言う不安が大きいようなのです。

 元教員の僕としては、その気持ちは理解できます。
しかし、この選択制度は是非とも成功させてほしいのです。

 僕は今、保護者としてそう思うのです。
この制度は表面的には保護者に選択権を与えるものです。
しかし、実は保護者に「選択する義務」をも与えているのです。
けっしてアイドルの人気投票のように無責任に選べるものではないのです。
 つまり、僕たち保護者は今までなら「学校が悪い」と言っていれば良かった面がありました。
言葉を換えれば、ある種の責任転嫁が可能だったのです。
けれども今回の「選択する義務」はその言い訳を奪ってしまうのです。
「そんな学校を選んだ保護者が悪い。」となるからです。
選択制は僕たち保護者の学校教育における責任をよりはっきりさせてくれます。

 この選択制は確実に広がります。
そして、学校選択だけでなく、給食制度や就学年齢も選択制へと変わるはずです。
さらに最終的には義務教育そのものが選択制となるでしょう。

 何のことはないのです。
645年の大化改新から1000年以上かかって日本の庶民が作り上げてきた寺子屋制度が復活するのです。
あの藩校、私塾などと共存し必要なことを必要なだけ学んでいた教育が戻ってくるのです。
それは逆行ではありません。
実は現代の教育制度こそ1000年の歴史に逆行していたのですから。
(了)
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