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「背縮みの努力」 1999/12/17
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 毎年、学校では身体測定がありますよね。

 僕は3年生をのぞく小学校全学年を担任しました。
身長測定の時、必ず何人かの子ども達が背伸びをするんです。
少しだけかかとを上げて自分の身長を高く見せようとするんです。
そーっと、そーっと、そしてじわじわと、かかとを上げるんですね。
それでいて、表情は真剣そのものです。
ついつい見ていて笑ってしまうんですが、そう言えば子供時代の僕も同じでした。
お兄ちゃんに見られたいというか、大人っぽく見られたい、そんな感じでした。
自分はお兄ちゃんになったぞって、かかとを上げて訴えたいんです。

 考えてみれば、幼い子どもがする「ままごと」も大人の世界への興味、憧れがベースでしょう。
料理ができる大人ってすごいなあ、子育てもすごいなあ、っていう「すごいなあ的思い」があります。
だから、子どもは大人のまねが好きですね。
学芸会の劇などで大人の役をすると、とても喜ぶ子が多いです。
ネクタイの仕方なんかも家庭で習ってきて、教員に誇らしげに見せたりしますよ。

 子どもにとって大人はある種のスーパーマンだと思うんです。
体も大きい、力も強い、いろんなことを知っている、そして自分を育ててくれている。
そんな思いが集まって大人に憧れているんじゃないでしょうか。
 野生動物もそうですよね。動物の子ども達は大人を模倣します。
そして、自然界を生きていく力を身につけていく。
だから、人間も本能の面でも、そういうふうな関係が備わっているんだと思います。
理性的に見ると、憧れや尊敬の対象と捉えたいと思っているのでしょうね。
「背伸びして追いつきたい対象」が大人なのかもしれません。

 先日、親戚のおじさん(55歳)が僕の家に来たんです。
それで、僕とこんな話をしたんです。おじさんは言いました。
「ジャニーズ系の名前、ほとんど覚えたよ。」
「えっ、おじさんその年で!」
「ああ、がんばったんや。」
「がんばったって、絶対ファンじゃないよね?」
「ファンなんかじゃないよ。あんなのさっぱりわからんわ。」
「じゃあ、なんで覚えたん?」
「娘のためや。」
「えっ。」
「娘に話を合わせるにはジャニーズくらい覚えとかんとダメなんや。」
おじさんには高校生の娘がいるのです。

「親子で会話を持ちましょう」いろんなメディアで啓蒙されています。
学校からもそんなことを言われますよね。
だから、おじさん必死の思いで覚えたんでしょう。
涙ぐましい努力です。娘を思う親心が伝わってきます。
だから、その努力が実ることを祈っています。

 けれど、この努力は悲しく思えました。
大人は子どもにとって「背伸びの対象」であるべきだと思うんです。
それが、逆に大人の方が努力して「背縮み」をしようとしている。

 なぜ大人は自信を失ってしまったのでしょうか。
「ジャニーズ?そんな一時的な流行みたいな話は自分の人生には関係ない。」
と言えなくなってしまったのでしょうか。
そこから始まる親子の対話をなくしてしまったんでしょうか。

 僕たち大人はもうやめませんか。
「背縮みの努力」は悲しい、さみしい大人の迷いだと思います。
等身大の大人として子どもを受けとめましょうよ。
そして、少しずつ背伸びをして近づいてくる子どもを見守りませんか。



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