「存在しなかった金と銀と黒」-2000/2/2-

娘が4歳の頃ですからずいぶん前のことになります。
家の近くの大きな公園に出かけたんです。

たくさんの家族連れがやってきていました。
ブランコやすべり台、ジャングルジム、僕たちの子供時代と変わらない風景がそこにはありました。
僕は保守的なのか、変わらないものを見ると安心してしまいます。

娘は砂場で遊んでいました。
これまた変わらぬ風景です。
僕もシャベルとバケツで山や川作りをしました。

何一つ変わらない中、娘が「おとうちゃん、あれ、、。」と遠くの方を指さすんです。
「あれ、じいじい(娘は祖父のことをこう呼んでいます)じゃないかなあ?」
僕は「じいじいがここにいるはずないよ。」といいながら指さす方向を見ました。
見ると、確かにじいじいによく似た後ろ姿のお年寄りがいたんです。
「ちび、よく似ているけれど、じいじいじゃないよ。」
「いや、絶対じいじいだよ。行ってみようよ。」
やれやれと思いながら、そのお年寄りの近くに行ってみました。

70歳前後でしょうか、お年寄りは草むしりをしていました。
「おじいちゃん、こんにちは。」と僕が話しかけました。
おじいちゃんは草をむしる手を休めて、「こんにちは、今日はどこから来ました?」と聞きました。
「いやあ、すぐ近くからです。草むしり、僕もします。」
「いや、いや結構です。」
「いや、みんなの公園ですから、僕もします。
 おじいちゃんが草刈りで、僕らや子どもが遊ぶってのもおかしいですよ。」
「いや、本当にいいんです。自分たちはシルバーで来てるんですから。ほら、あそこにもいますよ。」
おじいちゃんが顔を向けた方向には、同じ年齢くらいのおばあちゃんがいました。
やはり草をむしっていました。
ゴミを拾ってくれているおじいちゃんもいました。
その光景は僕たちが子どもの頃の公園には存在しないものでした。

シルバー人材センター、名前は知っていましたが、その活動を実際に見たのはそれが初めてでした。
まだまだ元気なお年寄りが社会に参加する、その意義は大きいでしょう。
またいろんな活動を通してお年寄りの知恵や力を発揮してもらう、すばらしいことだと思います。

だから、公園の草刈りも、おそらく僕などが知る由もない意義があるんだろうとも思います。
けれども、僕は感性の部分で「違う」と思ってしまうんです。
お年寄りが草をかり、若者や子どもがその側で遊ぶ姿、これは受け入れることができないのです。

娘が僕に聞きました。
「シルバーってどういうこと?」
「お年寄りが集まっていろんなことで、みんなのことを助けてくれる、そんな所だと思うな。」
「シルバーって銀色やろ。」
「うん、頭が白髪になって銀色みたいやからだと思うよ。」

公園の帰りにすれ違って入ってきた青年はタバコをポイと捨てました。
その青年は髪をみごとな金髪に染めていました。
金髪の若者が捨てたタバコ、白髪のお年寄りが拾うのでしょうか。
そして、黒髪の僕はタバコを捨てた行為を叱ることも、拾うこともできない中途半端な大人です。

そんな3者とも、僕が子どもの頃には存在しなかった気がします。



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