僕にはずっと謎だったことがあります。
でも実際は謎だったことさえ忘れてしまってました。
それは教員に関する漢字のことなのです。
2つあるんです。
1つ目は「せんせい」という言葉です。
なぜ「先生」と書くのかなぁ、と思っていました。
「先に生まれた」のなら姉や兄も「先生」ですよね。
それなら年上はみんな「先生」になってしまいます。
だから、そんなはずはないな、と思っていたのですが、ずっと、疑問のまま忘れてしまってました。
その謎が解けたんです。
1通のメールのお陰でした。
そのメールを下さった方は元教員の方です。
その方はこう教えてくれました。(要約します)
「先生」は「先に生まれた」と読んでは意味がないのです。
「先を生む」と読んでこそ意義があります。
子どもの「先」を「生む」人こそ「先生」なのです。
僕はびっくりしました。
すごいなぁとも思いました。
この方の決意というか覚悟が見えたのです。
教員は就職するとすぐに子どもや保護者から「先生」と呼ばれます。
僕もそうでした。最初は照れくさいんです。何だか「こんな僕が先生でいいの?」って感じなんです。
そして、知らない内に慣れてきます。それは慢心だったような気がします。
自覚はしていないのだけれど「偉く」なったと思っていたかもしれません。
今ではやり直しのきかないことだけれど、間違ってました。
「先生」と呼ばれる自分に課せられた義務、子どもの「先を生む」責任を自覚すべきだったのです。
呼ばれるたびに身を引き締めるべきでした。
僕は今、親として我が子の担任を「先生」と呼べる立場に立てました。
明日から僕は「先生」と呼ぶ時に、いつもこのメールのことをほろ苦さとともに思い出すでしょう。
そして、我が子にもこのことを伝えます。
「先生」という言葉はすごく素敵な言葉だぞと伝えます。
今日初めて、僕は教員をやめたことを少し後悔しました。
「先生」とは「先を生む」という意味だということを現役時代に知ってみたかったのです。
ありがとうございました。