「素敵な先生」その1

 僕にはずっと謎だったことがあります。
でも実際は謎だったことさえ忘れてしまってました。

 それは教員に関する漢字のことなのです。
2つあるんです。

 1つ目は「せんせい」という言葉です。
なぜ「先生」と書くのかなぁ、と思っていました。
「先に生まれた」のなら姉や兄も「先生」ですよね。
それなら年上はみんな「先生」になってしまいます。
だから、そんなはずはないな、と思っていたのですが、ずっと、疑問のまま忘れてしまってました。

 その謎が解けたんです。
1通のメールのお陰でした。
そのメールを下さった方は元教員の方です。

 その方はこう教えてくれました。(要約します)
「先生」は「先に生まれた」と読んでは意味がないのです。
「先を生む」と読んでこそ意義があります。
子どもの「先」を「生む」人こそ「先生」なのです。

 僕はびっくりしました。
すごいなぁとも思いました。
この方の決意というか覚悟が見えたのです。

 教員は就職するとすぐに子どもや保護者から「先生」と呼ばれます。
僕もそうでした。最初は照れくさいんです。何だか「こんな僕が先生でいいの?」って感じなんです。
そして、知らない内に慣れてきます。それは慢心だったような気がします。
自覚はしていないのだけれど「偉く」なったと思っていたかもしれません。

 今ではやり直しのきかないことだけれど、間違ってました。
「先生」と呼ばれる自分に課せられた義務、子どもの「先を生む」責任を自覚すべきだったのです。
呼ばれるたびに身を引き締めるべきでした。

 僕は今、親として我が子の担任を「先生」と呼べる立場に立てました。
明日から僕は「先生」と呼ぶ時に、いつもこのメールのことをほろ苦さとともに思い出すでしょう。
そして、我が子にもこのことを伝えます。
「先生」という言葉はすごく素敵な言葉だぞと伝えます。

 今日初めて、僕は教員をやめたことを少し後悔しました。
「先生」とは「先を生む」という意味だということを現役時代に知ってみたかったのです。

ありがとうございました。



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