宿題を考える

 小学生の4人に1人は全く家庭学習をしない。学習意欲の低下が判明。

これは東京都の調査でわかったことです。
(ただしある特定の平日を対象にしての調査です。)
ということは4人に3人は何らかの形で家庭学習をしているんですね。

 家庭学習ですから塾は含まれないですよね。宿題は含まれます。
より深い学習をしたい子が塾に通ったり、自主学習をする。
これは全く否定されるべきことではないと思います。
ただし、子ども本人の意志によることが大前提です。

 けれども宿題に関しては、僕は否定論者なんです。

 なぜ先生方は宿題を出すのでしょう?
僕は宿題をする子どもを見ると、残業で苦しむ大人を思い浮かべてしまうのです。
だから、宿題を出し続ければ、きっと「残業に強い指示待ち社会人」になっていくと思うんです。
これは先生方の望むところではないでしょう。
 先生方は、せっせせっせと宿題に取り組む子どもにどんな未来を描いているのでしょうか?

「ゆとりある教育」をうたいながら一方で宿題を出す。
「自ら進んで学ぶ子」を言いながら強制力を伴う宿題を出す。

 親の方にも宿題要求が少なからずあります。
「先生、宿題出してくれないとテレビばかり見てしまうんです。」
「宿題がないと全然机に向かいません。」

 本来ならば、家庭には家庭でしかできない教育が山ほどあるはずです。
妹や弟のお世話、そうじ、料理、お手伝い、、。
もちろん親が側についていなくても出来ることはたくさんあります。
また、何もしなくても親の後ろ姿を見ています。
だから本気で家庭教育をしていればこう言うはずです。
「先生、宿題のお陰で家庭教育の時間が足りなくなります。」

誤解を恐れずに言えば、宿題は「教師と保護者の敗北のシンボル」だと思うのです。

だから僕たちは家庭学習をしない1人に目を向けるより、残りの3人に目を向けるべきだと思うんです。
そして、その3人が家庭学習に取り組む動機が何であるかを分析すべきです。



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