「天皇陛下も平等ですか?」
とクラスの子ども(良子さん:6年生)が疑問を投げかけてきたのです。
翌日には、何らかの答えを出さねばなりません。
「あらゆる差別は醜い。」と僕は子ども達に訴えてきました。
「では天皇制は差別ではないのか。」改めて問い直された僕は考えました。
非常に難しい問いかけでした。
天皇は生まれた時からその将来を決定されてしまいます。
まったく選択の自由がないわけです。
自分の意志に関係なく天皇という重責を負わされるわけです。
これが他の人間ならば、答えは簡単に出ます。
明らかに差別ですよね。
例えば、ある人間が自分の意志に関係なく将来の職業を決定されてしまえば、それは人権無視です。
その人間の基本的人権を奪っていることは間違いありません。
まさか天皇は人間ではない、などというような理論は展開できないですよね。
だからといって「天皇制は差別だ」というふうに短絡的に言えないのも事実です。
しかし万一、天皇自身が天皇即位を拒否したいと願っていたら、これは残酷です。
幼い頃読んだ「王子とこじき」が頭をよぎりました。
いろいろ考えてみても答えが出ないのです。
切羽詰まった僕は先輩の先生に相談してみました。
答えはこうでした。
「そんな政治的な話をすると、中には反発する保護者もいるよ。
あたらずさわらず、がいいよ。へんな誤解されるよ。」
簡単にいうと法律で公立学校の教員は「政治的・思想的な教育を禁止」されています。
子ども達に「天皇制」を論じるつもりではないのですが、確かにそう受け止められるおそれもあります。
結局、僕は避ける道を選びました。
翌日、僕は子ども達にこう言ったのです。
「基本的人権は憲法に保証されているよね。
その憲法の第1章は何だと思うかい。
実は『天皇』についてなんだ。
日本人として最も基本となる法律の最初に『天皇』が規定されているんだ。
つまり、僕たちは憲法で天皇を認めているんだね。
ところが、男女差別や部落差別などは憲法でもしてはいけないことだと規定している。
そういう意味で『天皇』と差別は同列には語れないな。
先生にも正直言ってよくわからないんだ。
いずれにしてもそんな疑問を持てた良子さんはすばらしいと思うな。」
完全な詭弁であり、逃げですよね。
良子さんの疑問には何も答えていませんよね。
憲法で認められているから差別ではない、なんておかしいです。
そして僕の卑怯なところは最後に「良子さんはすばらしい。」と付け加えたところです。
そう言って良子さんが僕に対して抱くかもしれない不信感を避けたんです。
実際に「天皇制」にからむ問題は難しいです。
僕が避けてきた道を今の教育界も避けているのでしょうか。
もし避けなければならない道があるとしたら、それは情けない教育だと自身の反省から思います。
(了)