ガラパゴス島のぞうがめのことだって、知っています。
世界で一番高い山はエベレストだってことも知ってます。
それは、間違いなく、テレビやラジオ・新聞・雑誌のお陰です。
もちろん、それを支える飛行機・車などの移動手段のお陰でもあります。
情報は、僕にいろんな興味や関心を与えてくれました。
・・・「おじいちゃん、そんなことも知らないのん?」
花見をしていた僕に、女の子の言葉が聞こえてきました。。
もちろん、どんな場面でそんな会話になったのかは、わかりません。
何気ない女の子の言葉。
よく見る風景の一つのような気がします。
そう言えば僕だって、じいちゃんに、そんなセリフを言ってました。
ああ・・と思いました。
もし、情報機器がなかったら・・・。
きっと、僕は、南極どころか、今見ている山の先の世界も知らなかったこ
とでしょう。
そして、きっと、祖父母にこう聞くのです。
「じいちゃん、この山のむこうには何があるの?」
「ばあちゃん、この山のむこうには、何が住んでいるの?」
「おそろしい世界なの?楽しい世界なの?」
そして、きっと、祖父母は、そのまた祖父母から聞いたような話を僕という
孫に伝えてくれたはずです。
「この山の先にも、どうやら、わしらと同じ人間がすんでいるらしい。
海の先には青い目をした人間もすんでいるらしいぞ。」
僕は言います。
「じいちゃんもばあちゃんすごいや。物知りやなあ。
僕もいつか行ってみたいなあ。」
そこには、きっと大きな憧れと尊敬があったと思うのです。
生きてきた年輪が、そのまま次世代へのゆずり葉となりうる土壌があった・・
そんな気がするのです。
高齢化社会を迎えます。
それ自体は非常に幸せなことだと思います。
しかし、同時に、人類が未だ体験したことのないような情報化社会もきました。
その情報化社会は、孫が祖父母に物を教える時代を作りつつあります。
老人を介護という観点、守るべき人たちという目でみることが優先されるべき
かのような雰囲気を作り出しました。
それは、教育現場にも大きく影響しています。
今こそ、本気で、高齢化と情報化の関係を考えるべきだと思います。
子ども達に高度の情報が必要なのかどうかも含めて・・。
それにしても、僕はどんな老人になるんだろう・・、
いや、なりたいのかなあ・・。
孫ができたとしたら、その時の僕に「ゆずり葉」はあるのかなあ・・?
(了)