「学校に行きたくない。」
というあつしくん(小学校4年)の言葉にショックを受けたご両親。
しかし、
「学校に行けるように自信を取り戻すのではなく、学校に行かなくても大丈
夫だという自信をつけるべきではないか。」
という発想の転換をされました。
そして、「釣り」というあつしくんの趣味を通して家庭での「学び」を始め
たのです。
けれどもお父さんは悩みます。
「学校にも行かず、釣りをするような毎日が、子どもの役に立つのだろ
うか。なまけぐせのついた子どもになるだけではないか。これが教育
なのだろうか。あつしは、こんな毎日をどう思っているのだろうか。」
と・・・。
近所の人たちの目も気になります。
1ヶ月ほど釣り三昧の日々を送った親子。
お父さんは釣った魚の名前や習性をあつしくんに聞いていきます。
それに、答えるあつしくん、さすがは釣り好きの少年です。
あつしくんは魚の図鑑を買ってもらいます。そして、魚のことについて研究を始
めたのです。
夏休みの自由研究でさえ、苦労をしていたあつしくんが自分から研究を開始した
のです。
ご両親は一安心をされます。
「私たちは、なにか方向が見えた気がしました。」・・・。
そういう確信を持ちます。
また、ある時、釣りに出かけたあつしくんがビニル袋に空き缶をかかえて帰って
きました。それは、海に散らばっているゴミだったのです。
自分の家のかたづけさえ好まなかったあつしくんが、週に1度は海のゴミを拾う
と決めたんだそうです。
この変化はご両親に安心だけでなく何か大きな価値を感じさせます。
僕は、あつしくんとご両親の姿に学ぶものがたくさんありました。
特に、
「学校に行けるように自信を取り戻すのではなく、学校に行かなくても大丈夫だ
という自信をつけるべきではないか。」という発想は大きな意味を持つと思い
ます。
「学校に行かなくても大丈夫だという自信をつけるべきではないか。」・・。
この言葉は、ご両親自身が、まず自信を持とうという思いの現れだと思うのです。
また、あつしくんが一番興味を持っている釣りを家庭での「学び」の柱にしたこ
と。
いわゆる学校で行われる教科の学習ではなく、生活の中から家庭独特の取り組み
を模索したことに、僕は学びたいのです。
そして、時間をさいて子どもと釣りに出かけたお父さんの行動力。
ご近所の目やご自身の不安と闘いながらの行為はたやすいものではなかったと思
えます。
また、見逃しがちなことが一つあります。
お父さんが、あつしくんに魚のことを質問するというちょっとした会話。
ここを見逃してはいけないと思います。
この会話が、あつしくんの探求心をくすぐったのではないでしょうか。
それが、釣りから発展した研究へとつながっていったと僕には思えます。
そして、海岸をきれいにしたいと行動を始めたあつしくん。
僕はあつしくんの行為に敬意を表したいです。
そして、僕自身の行動に反省をさせられました。
あつしくんのお父さんが送って下さった経験談。
学校だけが学びの場ではないという、実は当たり前だけれども、厚い霧の先にかす
んでしまっていたことを見せてくれた気がします。
ただ、忘れてはいけないことも一つあると思います。
それは、担任の先生のことです。
僕も教員の経験がありますが、おそらく先生はあつしくんの通学を待っています。
心待ちにしていると、僕は思うのです。
もちろん、だからといって、あつしくんの選択を曲げる必要はないと思いますが、
先生が待っているということも覚えていて欲しいのです。
だから、今のあつしくんの姿を先生に伝えて欲しいと思います。
家庭教育の独立は外へ向く教育革命でも教育改革でもありません。
じっくりと自己の内側を見つめる「発見の行為」だと思います。
次回は、ある小学校4年生の女の子のことをご紹介します。
*あつしくんのお父さんのメール全文は下記のURLにあります。
http://village.infoweb.ne.jp/~fwkh8072/deko/dokuritu/guest/13.htm