今回のメールは、「僕らが陥りやすい思いこみ「友だち(2)」-2002/04/15-」への私見です。
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もちろん、1人=一人ぼっちではありません。友達がいないことを怖がる必要もありません。
純君が僕の友達は本、と言った時に、先生もお母さんも、焦る必要はありませんでした。
この焦りから来た(と見られる)先生の行動は、釈然としません。
(そもそもそんなアンケートを採ったこと自体が疑問ですが…。)
只、はいつ でこさんの、
>学校に行く行かないに、関わりなく、友だちがいないことはちっとも怖
>くありません。
>友だちがいないことを怖がることこそ、怖いのです。
>「ひとり」は、けっして「ひとりぼっち」ではないのです。
というコメントは、ある意味危険ではないかと思います。
何故なら、純君の気持ちが無視されているように思えるからです。
友達ができて、純君は笑顔を見せ始めたのでしょう。
やはり、嬉しいのではないのですか。
友達がいるというのは、自我の発達されてない子供にとって、嬉しく、楽しく、安心できるものです。
それは、母親や家族から得るものとは何か違います。そして同じように大切なものです。
5年生の純君は、既に自我が確立されていて、意識的に友達よりも本を選んだ、
とは私にとって考えにくいのです。
友達と上手く付き合えずに、それの代理として、たまたま好きだった本を選んだ、
または本を無理やり代理にしたのではないでしょうか。
何故なら、やはり人間の心理として、友達はほしいものだと思うからです。
大人の視点からすると「友達は大切」ですし、
子供の視点からだと「友達ってなんかいいな」なんだと思います。
友達とある程度上手く行っていた場合、わざわざ「本」とは書かないでしょう。
友達がいて、でもそれでも本がとっても好きで「本」と書いたなら話は別ですが。
つまり、友達がいない=不幸せ、という考えは避けるべきですが、
友達がいないことを誇らせることは、子供の視点を無視した、危険なことではないでしょうか。
「へ〜、純君は本が好きなんだ〜。本が友達ってすごいね。自分の好きなものをもう見つけてるんだもんね〜。」
っと言って、純君は素直に喜ぶでしょうか。
先生やお母さんの必要のない・避けるべき態度は、もしかしたら一般的なものかもしれません。
それを指摘するために、はいつさんはこのコラムを書かれたのでしょう。
しかし、はいつさんの意見は、逆に、あまりにもこの一般性を意識して、
基本的な人間の(子供の)欲・心理を無視するものにならないでしょうか。
もっと大切なのは、そういった大人の態度を正していくことではないでしょうか。
つまり、焦らず、必要以上に心配せず、子供一人一人の状況に応じて、
適切な配慮をすることではないでしょうか。