> 「本が友だちだ。」と言い休み時間に一人で本を読む純くん。
> この純くんは不幸なのでしょうか。
> どうして、僕らは純くんの「ひとり」を「ひとりぼっち」と
> 感じるのでしょうか。
>
●確かに吉田先生は「僕らが陥りやすい思いこみ」に陥っている可能性があるとわた
しは思います。
でもわたしは:【はいつ でこ】氏も、もうひとつの「僕らが陥りやすい思いこ
み」に陥っているきがしてなりません。
それは、
はいつ でこ氏の文章にすばらしさを感じながら、同時に釈然 としないものを
感じた僕。
その釈然としないものの正体を考えました。
それは一言で言えば「純君は本を読んだほうが、幸せだったのか。」という疑問
でした。
誤解しないでください。「本を読むことが不幸せ」というつもりはありません。
「本を読むことと」「友達といること」どちらが幸せなのかを、他人が勝手な思
いこみで論表することこそ「「僕らが陥りやすい思いこみ」なのではないかと思いま
す。
子どもの現象に勝手な思いこみで論評することの危険性を【はいつ でこ】氏は
書きたかったのではないでしょうか。もしそうならば、この文章は逆の効果(「別の
思いこみ」を助長する効果)を引き起こすと思います。
つまり、【はいつ でこ】氏の思いこみ(「個を確立してから集団と接してい
く。」)と吉田先生の思いこみ(「集団と接する中から自分という個を作ってい
く。」)は、思いこみという面では同じであるので、どちらのほうが子どもの思いに
近いか子ども自身にたずねることがもっとも大切だと思うのですが、いかがでしょう
か。
もう1つ、同じ思いこみでも吉田氏の思いこみは、大勢の人(少なくとも学校関係者
120万あまり以上)と共有している思いこみですね。したがって大勢の人によって
実験されてきているといえます。その効果も弊害も広く知られているものといえま
す。一方、【はいつ でこ】氏の思いこみは、個人的な思いこみです。するとその効
果も弊害もまだあまり分からないものだといえます。したがって、【はいつ でこ】
氏の思いこみを実践するときには、思いがけない効果も、あるいは思いがけない弊害
もあることにも触れるべきだと思うのです。
多くのエセ評論家たちが勝手なことをいい、それに振り回されている現状をわたしは
怒りさえ覚えます。もちろん教育の世界で正しいと思われているものが実は間違って
いる可能性も大きいです。、【はいつ でこ】氏もいうとおり、「個を確立してから
集団と接していく。」ほうがよりいいかもしれません。ですが正しくないかもしれな
いのです。実践には弊害もあることを明記すべきだと思います。
付記、教育の世界で正しいことは、実はほとんどないのではと思うわたしにとって、
あなとの文章は共感できるところが多いです。だが、その弊害も同時に明記しないと
「僕らが陥りやすい思いこみ」になるのではと考え、おせっかいな文章を書いてしま
いました。送信するかどうか迷っていますが、もし送信したら、一教師の勝手な思い
こみだと思ってください。