これ(家庭教育独立宣言「友だち」)を読んで私の小5の時を思い出しました。
私も、友達がいなくて本を読んでいる派でした。
というか、故意に人を避けていた気がします。
「この本なんていう本?」と聞かれれば、
「○○」
「面白いの?」
「うん」
・・・・・
そのうちその会話さえ邪魔に感じ、
”本、読ませてくれ〜〜〜”って思っていました。
で、それを避けてオルガンを弾きだすとそれによってくる。
”好きにさせておくれよぉ”と何度思ったことか。

学校の先生がそれを気にとめ、
家に電話をかけてきました。
母も先生も心配して、
「友達はいいよ。辛い時も助けてくれるよ」
などいろいろ言うわけです。
フンって思っていた私。
ある日、「友達と一緒に実験をしましょう」という先生の提案で、
何人かとグループになって実験をすることになりました。
実験は私に友達を作るためだったので、
計画段階で終わって誰もする人はいませんでしたし、
先生もそれについて何にも言いませんでした。
私は、そのグループととりあえず遊ぶようになり、
とりあえず、「友でちって良いね」と。

その後、一緒に遊ぶ子はいたけれど、
友達を装っていたような気がします。
装わなくってはいけないように感じていたのです。
誰かと一緒にいなくっては
また、先生、親になんか言われる。
それが、面倒な気がしていたように思います。

結局、本当の意味の親友は未だ現れていません。
今も、話はするけど友達って言うほどの人もいません。
それでも何とかやってきたし、一人で解決できることも多かった。
あの、5,6年の2年間、過ごした友達ってなんだったんだろう。。。
いまでも疑問に思っています。
先生や親が心配していた”友達”って。。。

以前、メルマガだったか
はいつさんが書かれていた一行、
”友達は探すものではなくって、いつか出会えるもの。”
(そのメールが保存できてないので
正しくはないと思いますがこのような内容のもの)
と言う言葉で少し救われていました。
別にいなくっても良いじゃん。
悲観しなくっても。
自分の思うように生きることも大切じゃん。って。

ただ、そういう私でも、
息子には友達と言うか、仲良く遊んでくれる子がいてくれるといいなぁ。
って思います。何ででしょうね。



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