はいつさん、こんにちは。
みなみのたいようです。
皆さんは子ども達にどんなふうに「幸せ」を話すのでしょうか?
というのがあったので、以下書いてみました。
子供に「幸福論」を説いても仕方ないと思います。
はいつさんの言うように、「比較論」では、意味が無いからです。
ただ、子供にこうは言います。
マラソンを完走できたとき、
誕生日を祝ってもらった時、
欲しいものが手に入った時、
「あー、しあわせ!」
目標の達成
思いもかけないよろこび
感謝したいことがあるときに感じる「幸福感」
そんなときに、
「あー、しあわせ!」
とか、しみじみとかみしめたりとかしてます。
「あー、うれしい!」
「あー、たのしい!」
しあわせは、感情であって、論理ではないということでしょう。
何が幸せかだとか、
幸せになるためにとかは、ある意味陳腐ですが、
幸せという状態を目標として追いかけるのは、別にわるいことではありません。
「人とは目標を持って働く動物だ」というのが、僕の考えです。
ただそれが、「犠牲」とか、「今、しあわせではない」などと、誤った考えを持ち込むのであれば、マイナスでしょう。
「今日一日、楽しかったなーって、
わくわく、どきどきして子供が寝るのがいいのだ」っていったら、
相方曰く
「そんなことばかりだったら、落ち着きの無い子になってしまいます。
楽しいことばかりではいけないんです」
「ななな、なにーーーー」
でも、子供といる時は、わくわくすることしかしません。
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