■目次
【1】[たの歴トークトーク]
●ゲストの力をたよりに歴史のすき間に迫ります。
【テーマ】「ちょんまげ誕生の秘密」
ラジオを聞く気分でお読み下さいね。
【2】トークを終えて
【3】メールいただきました。
【4】メールお待ちしています。
【5】僕がやってること
【6】友好誌です。見てね。
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【1】[たの歴トークトーク]
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【今回のゲスト】大山淳子(JUNKO)さん。(愛称ぶんちゃん)
【プロフィール】メルマガコラム「ぶんぶん便」の著者。
その鋭くも暖かい視線は、たくさんの読者の
共感を呼んでいる。
【 関連URL 】「ぶんぶん館」
(はいつのサイトと いとこサイトです)
http://homepage1.nifty.com/jyk/
【 テーマ 】「ちょんまげ誕生の秘密」
あのヘンテコリンな髪型「ちょんまげ」。
歴史という川の中で、武士とともに生まれ、消えていった
「ちょんまげ」。
そこには、どんな秘密が隠されていたのか。
伊能忠敬(いのう ただたか)さんの日本地図作りのエピ
ソードもまじえ、「ちょんまげ誕生」に迫ります。
あなたの「ちょんまげ」感が変わるかも。
また、JUNKOさんの素敵なコラムも2作、お届けします。
どうぞ、お楽しみ下さい。
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> 【はいつ】
みなさん、こんにちは。
「たの歴トークトーク」のコーナーです。
今日も「歴史のすきま」に入り込んで、グリグリしちゃいましょう。
今日のゲストはメルマガ「ぶんぶん便」の筆者、フリーライターの
大山JUNKOさんでーす。
いきなりだけど、まず、おことわり。
僕ね、JUNKOさんのことを「ぶんちゃん」と呼んでますんで、
今日も、そうさせてもらいます。
ぶんちゃん、よろしくね。
> 【JUNKO】
今日はおまねきありがとうございます。
ぶんこと、JUNKOです。
歴史は得意ではありませんが、すきまならなんとかなりそうです。
がんばります。
> 【はいつ】
今日は「ちょんまげ誕生」について語り抜きたいんだけど。
まずは、オーソドックスに、好きな歴史上の人物とそのわけなんて
話してよ。
> 【JUNKO】
男性では、伊能忠敬。女性では清少納言です。
信長さんや純一郎さんのように、政治的影響力を持つ人物より、
はじっこ的な人が面白いですね。
伊能さんの人生は、後半になって怒濤のように濃くなります。
ご本人にとっては、ずっと同じ濃度なんでしょうけど、
歴史的に見てると、後半がすごい。
55歳過ぎてから、歩きまわって日本地図を作った。
その「後半重量過多人生」にあこがれます。
やってることは途方もなくデカいのに、きちんと計算し
算出しながら計測している。細やかな職人気質も好きです。
清少納言は、親近感です。
小学生の時、通知表に「口八丁、手八丁で、清少納言のごとく云々」
と書かれました。誉めてるんだか、どうだかって感じですけどね。
> 【はいつ】
なるほどお。
あこがれの伊能忠敬と親近感の清少納言か・・。
じゃあさ。
まずは、あこがれの伊能忠敬からいきまひょ。
調べてみたら、「江戸時代に学問を広めた一人」として
中学校の歴史教科書にも載ってたよ。
今なら、55才の元気なおじさんっていっぱいいるだろうけど。
それでも、全国歩き周りは、できないよねえ。
それにさ、当時(江戸時代)の平均寿命って40才以下だったらし
いもんね
現代(男性の平均寿命78才)なら何歳ぐらいかなあ・・。
えーっと。
単純に計算すると・・・。
ぎえーっ!
108才だよ。108。
除夜の鐘じゃん。
「人生の後半」どころか、まさに「人生の大みそか」です。
伊能さん、すごいや。
何が伊能さんをそうさせたんだろ・・。
そもそも、なぜ、地図だったのかなあ・・?
> 【JUNKO】
108才になったヒトがしたいことは何か。を考えてみました。
108才の心境を想像してみますと、
「もうじゅうぶん生きた。いつ死んだって、本望だ。
健康なんか留意せず、思い切って、やりたいことをやろう」
つまり、老後の楽しみです。趣味です。
伊能さんはもともと旅が好きだったフシがありますので、
老後に旅をしましたが、働き者の貧乏性で、ぶらぶらできずに、
「ついでに測ってみた」のかもしれません。
旅は思いのほか健康にプラスになり、
長生きした上、偉業を成してしまった。という…。
> 【はいつ】
なるほどねえ。
人生の大みそか。
たしかに
「もう、これからは好きなことをやりたいだけやろう。」って気に
なるよね。
好きなこと。
それが「旅」だった・・・。
なんか、わかるなあ・・。
旅のついでに地図を作ってたら、周囲が驚くほどの才能があった。
で、そっちの方に興味が移っちゃった。
そして、
「これは、いけるぞ!」ってな感じになり、
次第にやる気みたいなものが芽生えてきた。
結局、幕府もその力を認めて、地図作りを伊能さんを中心にした国
家プロジェクトにしちゃったんだよね。
にしても、幕府もすごいよね。
よくもまあ「現在換算年齢108才」をリーダーに任命できたなあ・・。
これ、すごいよね。
今の日本政府だったら・・。
「伊能さんもいい年なんだし、やめといた方がいいよ。
戦国時代はとっくに終わったんだけど、
まだ危険地帯もあるんだからね。
もしもだよ。
もし、
途中で事故にあったり、誘拐されたりしても知らないからね。
ぜーんぶ自己責任だからね。
救出費用も自己負担だもんね。」
なんて言いだしそうだもん。
しかも、伊能さんって元々は商人でしょ。
まあ、ふつうなら、もっとバリバリの武士の出現を待つよね。
なんで、待たなかったの、幕府?
> 【JUNKO】
そもそも政府って、政府を信用してないと思う。
政府の要請で行く政府の人の能力をアテにしていないと思う。
一応、行かせる。行ったという形跡が残ればいい。のですから
たいしたことはできなくていいわけです。
小泉さんはブッシュさんとキャッチボールをしました。
それくらいできればいいわけです。
幕府も、武士の能力を信用していなかったのでは?
「どうせ武士じゃん。剣術以外なーんもでけんし」
と思っていたのでは。
あの二宮金次郎さんも、農民でした。
能力を買われて幕臣に登用されちゃうのですからね。
必要とあらば、幕府も政府も、できる人間をちゃあんと選ぶんです。
たぶん、現代だって、
「やばい。ちゃんと仕事しなくちゃ」と政府が思えば、
誘拐された人たちに頭を下げて、危険地帯に行ってもらうでしょうね。
志が高く、実行力があるって、証明されたんですからね。
しかし…救出費用を本人に請求、って突拍子もない話ですよね。
国会議員の口からそのセリフが出た時、
かりんとうと間違えて猫のフンを口に入れちゃったような、
ものすごい味がしましたよ。
税金は人命救助にこそ、ばんばん使っていただきたいです。
> 【はいつ】
げげーっ。
口に入れちゃったことが あるの? ネコのフンを。
「ものすごい味がする」ってことは、しばらく口に含んでたんだよ
ね。
すっげーなあ・・。
どの時点で気づいたの?
「これ、かりんとうじゃないかも。」って。
> 【JUNKO】
まっさかあ。
ネコのフンは口に入れたことないです。
よく「血って、鉄の味がする」と言いますが
鉄を食べた人はいないと思います。
> 【はいつ】
そっかー。
今でもフンだと気づいていないんだね。
とにかく、よほどのことでない限り動かない幕府が、伊能さんを必
要とした。
それほど、正確な地図を、ごっつう本気で必要としていたってこと
なんだよね。
僕、ここがわからないなあ。
江戸後期だから、そろそろ、欧米が日本に目をつけてきた頃だよね。
「すきあらば、半植民地にしちゃえ。」って感じで。
だから、攻めようとしている欧米が日本地図をほしがるのはわかる
んだけどなあ。
> 【JUNKO】
そもそも蝦夷の測量が始まりだったようです。
だとしたら、幕府の直轄、統治のための資料ということになります。
年貢を効率良くとるなど、全国を統治するのに
地図が必要だったのかもしれません。
一方、伊能さんの地図はフランスやアメリカで発見されてます。
これは植民地にするのための資料だったでしょうか。
私は、浮世絵みたいに「美術品」として持ち帰ったような気がする
のです。
地図って、綺麗だし、見てて飽きないですもんね。
> 【はいつ】
なるほどお。美術品か。
たしかに、ものすごく綺麗だもんね。
伊能さんの地図。
芸術だよねえ。
あっ。
もしかすると。
欧米は、伊能さんの地図を見て、
「日本、あなどりがたし。」って思ったのかも知れない。
ひょっとしたら、日本を植民地化から救ったのは伊能さんかも。
それが、幕府の裏のねらいだった可能性もあるなあ・・。
欧米にひけをとらないぞっていうデモンストレーション。
欧米をびびらせる何かが、必要だった。
ぶんちゃんの書いてたように、浮世絵をはじめ、日本の文化が、
この頃から世界に出ていくよね。
国際的な交流が始まれば、当然と言えば当然なんだけど・・。
でも、外に出ていかなかった文化があるよね。
日本で生まれ、日本だけで、その命を終えた文化。
日本人の僕にとっても、すごく不可解、けれど芸術の匂いのする文
化。
地図が、伊能さんの頭の中から生まれた芸術だとすると。
ここからは、伊能さんも頭の上にのっけていた芸術。
あのファッションがどうして生まれたのか?
あれは、いったい、どういう意味なのか?
そう、「ちょんまげ」についてグリグリしたいと思います。
その前に、ここで、ぶんちゃんのコラムをひとつ、お届けします。
僕の大好きなメルマガ「ぶんぶん便」から「風に乗る」です。
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○風に乗る (2001/7/10発行ぶんぶん便No.40より)
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推定年齢タラちゃんくらい。
雨の振る日に傘をさし、すべり台の上から落っこちた。
遠くで見ていた母の目には、幼い私が転落するように見えたらしい。
事実は少し違う。
私は落ちたのではなく、飛んだのである。
当初の目的はすべって降りるというコンサバチブなものだった。
雨の中、傘をさし、ハシゴ式の階段を昇った。
昇りきった時、ふわりといい風が吹いた。
傘に抵抗感を感じる程度の、強くて優しい風だった。
ふと、風に乗れる気がした。その瞬間、風に身を任せ飛び下りたのだ。
夢は一瞬にして破れ、私は地面に叩き付けられた。
背中をしたたか打ち、激痛が走った。
半狂乱で駆け付けた母親に「風に乗った」とは言えない。
痛い。傘は折れた。けど涙は出ない。
夢からさめる時、人は不思議な、きょとんとした気分になる。
その性格は治らない。
私の人生は、ふとその気になって、夢からさめるの繰り返しである。
さめた時のきょとんとした感じも同じで、
悲しいくせに最初からわかっていたような気もする。
あの時折れたのは傘だったが、大人になるにつれしばしば骨も折った。
ただその、風に乗る瞬間の躍動感はすばらしく、
凝りもせず身を任せてしまう。
その時の思い切りの良さは格別で、普段の優柔不断な私ではない。
風に乗る。
その一瞬の為に生きているような気もする。
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●以降、交流版8-2に続きます。