2年生になった初日に、こわばった表情をしていたさきちゃん。
お母さんから僕にお便りがきました。
さきちゃんの連絡帳に、はさまれた封筒。
前の日の夜は、ろくろく眠れないように気になっていた僕は、いの一番にそのお便りを開きました。
「さきに、学校での様子を聞いてみました。
大変とまどっているようなのです。
実は、さきは保育園も幼稚園もそして1年生も女の先生だったのです。
はじめて、男の先生に受け持たれて、怖いという印象を持ったようなのです。
先生が『起立』とおっしゃった、その声にさえ、怖さを覚えたようです。」
僕はショックを受けました。
子ども達はみんな、少しの不安を持ちながらも、はりきって新しい学年を迎えていると思っていました。
だから、僕もはりきって元気よく「起立!!」と言ったのです。
今日から2年生だ、何もかも新しくなるスタートだ、そういう意気込みがあったのです。
しかし、その僕の態度がさきちゃんにとっては裏目に出ていたのです。
「さきは春休みの間ずっと2年生になってからのことを気にしていました。
1年生の運動会練習の時、男の先生が平手打ちをするのを見て男の先生を怖がるようになったのです。
2年になって、もし男の先生だったらいやだと言っていたのです。
さきには私からよく言って聞かせました。
このように精神的に弱い子に育ててしまったことを後悔しています。
今後は、もっと強さを身につけていけるようにしつけます。
2年生最初の日から先生にご心配をおかけして本当に申し訳ございません。
どうぞ、今後ともよろしくご指導下さい。」
僕は間違っていました。
僕が男であることは、変えることはできません。
そして、さきちゃんが男の先生への変化を恐れていることも事実です。
この部分ではどうしようもないのです。
しかし、僕にはそれ以前に大きな誤解があった気がしました。
すべての子が、レベルの違いはあれ、新しい変化を喜んでいる、そんな思いこみがあったのです。
1年生から2年生という節目を希望を持って臨んでいる、そう思っていたのです。
「もう今日から1年生ではないよ。」そう言って、ことさら区切りを強調していたのです。
たしかに、それで順応できる子どもがほとんどです。
しかし、それでは負担の大きい子どもがいるのかもしれません。
僕の心には「みんな、新しい環境で、はりきるべきだ」という傲慢さがあったのかもしれません。
1年生と2年生はけっして断層ではなく、ゆるやかな斜面としてつながっていくものではないか、、。
だとすれば、そのことを子ども達にも伝えるべきではないか。
僕はそう考えました。
そういう目であらためて子ども達を見ました。
さきちゃんだけでなく、とまどっている子がたくさんいるように見えました。
そういう子は僕の性別が問題なのではないでしょう。
僕は言いました。
「みんなは昨日から2年生の1学期をスタートしたよね。
だからはりきっている人もたくさんいるだろう。
けれども、中には、ちょっといやだなあ、って思ってる人もいるだろう。
そんな人は、そうだなあ、しばらくの間、1年生のつづきだと思ったらどうかなあ。」
「先生!!じゃあ1年生の4学期ってこと?」
ゆうきくんが言いました。
「そりゃあ、いいや。昨日から1年生の4学期がはじまったんだ。」
僕が言うとクラスに笑いがおきました。
「少しずつ2年生になっていくのも、けっこういいものかもね。」
僕はそう言いました。
学校現場はいろんな節目があります。
その節目を意識するあまり、僕ら大人は急ぎます。
先生も保護者もついついあわててしまいます。
運動会でさきちゃんが見てしまった体罰もそんな大人の焦りが原因かもしれません。
強い子はそれでもついてくるでしょう。
しかし、少し弱い子はその速度に合わせることができません。
せめて、義務教育の間くらい、本当にゆっくりゆっくりと歩ませてあげたい、そう思ったのです。
今日のさきちゃんは顔を上げて僕の方を見ていました。
さきちゃんとお母さんにお礼を言いたい気持ちになりました。
スピードの速い列車の窓からは景色がよく見えません。
同じことが教育で言えるような気がします。
それは「ゆとり」ではないのです。
僕はその日から「ゆっくり」を少しずつ意識できるようになった気がします。
(了)