保護者と教員の共通の場としてPTAがあります。
ご存じのようにParent,Teacher,Associationの3語からなっています。
純粋に日本語に訳せば「親と先生の協議会」みたいな感じですね。
もともとはアメリカの西部開拓時代に生まれたものだそうです。
親たちが子どもを教育するために教師を雇う。
そして、どんなふうに教育してもらいたいのかを教師に話す。
それを受けて教師は教育を組み立てる。
親は、自分たちの依頼通り教育できてなければ、さらに要求する。
また場合によっては解雇する。
そのような協議機関としてPTAが機能していたんだそうです。
当然、親がその主体となるわけです。
日本でも同じですよね。
教員は職業としてPTAに関わりますから、異動や退職すれば無関係になってしまいます。
親が継続的に主導しなければなりません。
では教員としての僕が見てきたPTAについて少し振り返ってみます。
まず、どこのPTAでも、役員決めがいやな雰囲気につつまれて行われました。
希望者がいないんです。
そして、できない理由を述べ合います。
「仕事がありますから。」
「そんなことは理由にならないんじゃないかしら。」
「昨年、役員をしましたから今年は休ませて下さい。」
「私も、3年連続でやってます。」
「下の子供が小さいもので。」
「今日の会に欠席している人から選びましょうよ。」
「委任状もあるんだし、それでいいわ。」
「いっそ、くじにしましょうよ。」
「いえ、もし、私が当たっても、仕事の関係でできません。」
堂々巡りなんです。
みなさんの学校でも同じような感じじゃないですか?
僕はこの原因は絶対に一つだと思っているんです。
それは、日本には実質的なPTAが存在しないからです。
考えてみて下さい。
教育について保護者と教員が協議する場がありますか?
ほとんどのことは教員から保護者への「通達」です。
たとえば、「宿題」についてはどうですか?
宿題は家庭でするものです。
本来、家庭での生活は家庭が決めていくものです。
なぜ、学校がそこまで影響を及ぼしてくるんでしょうか?
夏休みや冬休みになれば、朝は何時まで自宅にいなさいなんて通達まで出してくる場合もあります。
完全に「能動態としての学校」と「受動態の家庭」というふうに位置づけられているんです。
能動態と受動態の間に「協議」は成立しませんよね、「通達」以外にありえません。
たまに大きな事件や事故、学校の不祥事があった場合のみPTAが機能する場合があります。
しかし、それは臨時PTAと呼んでも差し支えないと思うんです。
日常活動として機能しているPTAとは言えません。
いつもベクトルは「学校から家庭へ」なのです。
双方向は極めて難しいのが現状です。
では、現在の日本にあるPTAは何なのか。
僕はその実態はPTEだと思います。
Parent-Teacher-Event.
「親と教員でイベントを行う機関」にすぎない、そういう気がするんです。
その(2)につづきます。