日本にはPTAがない(2)」-2000/2/14-  その(1)

僕は日本には実質的なPTAが存在していないと思っています。
僕ごときが「日本には」などと語るのはおかしいと思われるでしょう。

けれど、僕は自信をもってそう主張できます。
なぜなら、教育課程において保護者の考えを受け入れるシステムがないからです。
ほとんど全てのことは文部省や教育委員会が決定し、学校が実施するというシステムができているのです。
保護者は、その通達を受け入れるだけしかないのです。

だから、たとえば、PTAの会長など役員の責任ではないのです。
日本の教育体系全体のシステムの問題なのです。
保護者の意見に耳を貸すという基本姿勢がないのです。

しかし、形だけはPTAという組織は存在しますから、何かをしなければならなくなります。
何をするか、結局その活動のほとんどでイベントをするしかなくなるのです。
そしてイベントは活動の足跡としてわかりやすいのです。
だからPTAは実質PTE(Parent Teacher Event)になってしまうのです。
PTA主催の親睦会、バレーボール大会、飲み会、講演会、バザー、映写会、広報誌大会。
イベントは目白押しです。
またイベントはそれ自体が肥大化する運命を持っています。

人類史上最大のイベント「オリンピック」の肥大化がその典型です。
種目が増え、プロの参加を認め、経済的にも大きくなるしかないという方向に向かっています。

イベントが大きくなると、たくさんの人間が必要になります。
連絡も多く必要になります。
PTA役員は連絡に追い回され、人数確保に気をつかい、へとへとになる運命なのです。

講演会を企画したものの人数が集まらず、知り合いの保護者に参加を頼み込む役員さんも見ました。
広報誌をつくるのに、記事を依頼しても引き受け手がなく、自分で全て書いた役員さんも知っています。
役員になったばっかりに、好きでもないお酒を飲みに行った保護者を知っています。

そんな不幸な実態がありながら、イベントを削ることは実際には難しいです。
「自分が担当になった時にイベントをなくせば、前任者のしたことを否定するようでできません。」
そういうふうに語った役員さんもいました。
また「親睦が深まるんだから」という大義名分もイベント存続に一役買っています。
確かに「役員をやって知り合いが増えてよかった。」という声もたくさん聞きました。
けれども本当は役員をしなくても知り合いが増えるのがPTAのはずです。
また、現在のイベント主体の活動では物理的にも役員活動ができない保護者もたくさんいます。
PTAもバブルのまっただ中にあるのです。

僕は思います。
もし、PTAがイベント機関でなくなれば、1年間の固定的な役員はいらなくなるのではないでしょうか。
純粋に、学級懇談会を充実させ、その司会を回り持ちでする、それだけでもいいと思います。
学級懇談会で出たある保護者の悩みを参加者が受け止め、自分なりの考えを持つ。
また直接参加できなかった保護者もアンケートなどで参加する。
そして、その考えが大きな輪となって担任に伝わり、間接的ながら学校教育を改善していく。

そんな小さなPTA、けれども本当に教育を考えるPTA、作れないものでしょうか。
そして、その中から親睦が生まれてくれば、それが本来の姿だと思うんです。
やはり僕たちはPTEにさよならを告げねばなりません。
これは自分たちのことでありながら、すでに組織ができてしまっている以上難しいです。
相当に長い年月がかかるかもしれません。
しかし、少しずつ学級懇談の席上でイベント再考を発言しなければなりません。
でなければ、年度当初の「いやな雰囲気の役員決め」が毎年繰り返されます。



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