「あれ、あのバイトさんは?」
「いやあ、泣く泣くやめてもらったんですよ。」
「えっ?」
「不況でねえ、あの子も残念がってましたけどね。」
僕のよく行く古本屋さんがあります。
近代的な古本屋さんではなく、昔ながらのお店なんです。
いつもは店主さんとアルバイトの男の子、2人の店番でした。
男の子が本を磨いたり展示したりしていたんですね。
僕は、そこの店主さんとよく話をします。
年齢も同じくらいだし、話が合うんです。
店主さんが続けました。
「あの子も給料下がってもいいから、つづけさせてくれって言ったんですけどね。」
「そうですか、、。」
「でも、ダメなんです。最低賃金ってヤツが邪魔してるんです。」
店主さんの話はこうでした。
法律で最低賃金が決められていて、それ以下の賃金では雇えないのだそうです。
たとえバイトでも、そして本人がそれ以下でもいいと言ってもダメなんだそうです。
店主さんも、最低賃金以下なら雇えるし、男の子もそれでもいいと言っていたらしいのです。
おそらく労働者の権利を守るためにできた法律だと思います。
過酷な低賃金労働の時代の反省から作られたものでしょう。
けれど現実に、最低賃金規定のため、やめさせられた人間がいたのです。
「最低賃金が高すぎるんですよ。
私の知ってる花屋さんも、それでバイトさんやめてもらったらしいですから。
そう言ってる経営者は多いですよ。
あれ、何が基準なんでしょうねえ。
バブル景気の鬼っ子じゃないですかねえ。
最低の見直ししないと、、。
ウチみたいな小さいところや、弱いバイトさんは悲鳴をあげてますよ。」
労働者のためによかれと思ってできた最低基準が逆効果をあらわす場合があるんですね。
似たようなことが学校や家庭で起きていないでしょうか。
教育する側は「最低、この程度は理解させなきゃ、子どもがかわいそう。」だと思ってしまいます。
学校教育では指導要領というものがあり、自ずと最低基準ができてきます。
「今の世の中、最低でも高校くらい出ておかないとね。」なんて平気で言ってた保護者もいます。
いえ、「大学出るのが当たり前。」と言った親もいます。
僕は教育界もバブルだったと思っています。
「名門学校」「高学歴」「お受験」「エリート教育」
もう、とっくにはじけているのに、今でもバブルに浸っている人もいます。
教育バブルが生み出した最低基準、見直しが必要だと思います。
そうじゃないと、学校も家庭も悲鳴をあげてしまいます。