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【1】【ゲストさんコラムその13】------2000/09/29------
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・皆さんからいただいた教育に関するコラムです。
・教育の複眼づくりにご協力下さい。
・みんなで教育コラムの輪をつくりましょう。
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■本日のゲストさんは、Oさんです。
 Oさんはお母さんです。
 以前にも「修学旅行とスポーツ振興」を寄稿してくれました。
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【タイトル】「体罰」について
【テーマ】体験としての体罰
【寄稿者】Oさん(おかあさん)
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■関連コラムなど
修学旅行とスポーツ振興
http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums/guest8.htm
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私の父は体罰で躾をしてくれました。
「犬と子供は悪いことをしたその時に、その場でたたかなければダメ。」
が持論でした。

そういうわけで、
箸の持ち方が悪くても、おいしそうに食事をしないという理由でも
自主学習をさぼったという理由でも
私がイライラしているという理由でも
ありとあらゆる理由でたたかれました。

げんこつでも、傘でも、お箸でもたたかれました。

りっぱな(?)大人になった私が母になったとき、
私は子供をたたくまいと強く思いました。

しかし、その実践は思ったより難しかったです。

ある時、理由は忘れましたが子供をたたきました。
当時、5〜6歳だった子供は、目に涙をため訴えました。

「どうして、たたかなきゃいけないの?悪いところがあったら、
わけを言ってくれれば分かるのに・・・」

その時私は強い愛情からたたいたわけでは無かったと思います。
ただ、自分のおもいが伝わらないという理由で、腹を立てただけと思います。

深い愛情でよくよくのおもいからたたいたのであれば、
その理由も心に残っているはずですから。

これからさき、もし子供をたたくことがあれば
その理由をあとあとまで覚えていると思います。
子供も理由を覚えていてくれるでしょう。

ところで、わが家で犬を飼うことになり、飼い方の本を買ったのですが、
「犬はたたいて躾てはいけない。」と書かれていました。
愛情と根気で犬を躾た経験のある方はその理由はお分かりでしょう。
私は大笑いしました。そして、泣きました。

今、私にとって父は、大人同士になっても
緊張して思ったことが言えない存在となりました。

体罰容認の方、その時のご自分は冷静でしょうか?

(了)
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【5】編集人ひとこと
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僕は体罰は差別的な要素が大きいと思っています。
人が人を教育する上で、忘れてはいけない最上の方法は「感化」だと
思っています。
「感化」「示唆」「奨励」「要請」「強制」そして「脅迫」。
どの方法を自分が選ぶのか、ここが分かれ目だと思います。
差別についていくつか書いたことがあります。
どうぞ、ご意見よろしくお願いします。
 http://www.yukichi.ne.jp/~deko/sakuin.htm#sabetsu



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