今日は、春頃から考えてきたことについて書いてみます。
長くなると思いますが、おつきあい下さい。
私が小学生の時、大阪で万博がありました。
大人達は、みんなこぞって出かけていきました。
私の両親も私たち兄弟を同じ町内の親類の家に預けて出かけていきました。
私たちには学校があったからです。
学校を休むのは、病気やけがの時、そして身内に不幸があったときでした。
それは、みんなそうだったと思います。
今は必ずしもそう思われていないようですね。
いじめられる子供さんや登校拒否の子供さんに対しては、
学校へ行くことを強要してはいけないとよく聞きます。
でも、そういう深い理由ではなく、
学校に行くより価値があると思えば休ませて連れて行くと聞きます。
学校に行くより価値があるという判断を伴わずして学校を休ませている話も聞きま
す。
ところで、娘の通う小学校では、男の子はソフトボールの子供会に
属している子が大半を占めていて、結構強いチームをつくっています。
この春、修学旅行でこういうことがありました
ソフトボールの試合にでるため、男の子の大半が修学旅行に行かなかったのです。
県大会の日程が雨のため順延となり、修学旅行の日程と重なってしまいました。
大会では何回戦かで負けてしまい、後から親が子供達を送っていって
旅行には途中から参加したというのが真相です。
6年生がいなければ、ソフトボールの試合には参加できないという事情がありまし
た。
私がこの話をきいてまず思ったのは、はじめからバスに乗って出かけていった子供
の気持ちです。
寂しくなかったでしょうか。
勝ち進めば、男の子の大半はやってきません。
そういうことに思いをはせる親が一人もいないということがなさけないと思いまし
た。
いや、反対した人もいたかもしれません。
いたとしても、
団体競技の性格上、多数に従わねばならなかったのかもしれません。
それから、学校の先生に対してすまない気持ちが湧いてきました。
学校によってちがうとは思いますが、
修学旅行の準備にはかなり時間をかけていると思います。
コースを変えるのに2年以上前からした調べをしているようですし、
修学旅行で子供達に経験してもらうことや収穫してもらうことについて
真剣に考えてくれています。
何より、安全には細心の注意を払ってくれています。
それをないがしろにしていいものでしょうか。
それとも、今や修学旅行自体、単に思い出作りの旅行でしかないのでしょうか。
一方、中学生の娘は、冬に沖縄に行きます。
そのため、沖縄について社会で学習したり、
戦争と平和、基地と沖縄の人たちについて春からずっと学習していますし、
日程も観光旅行とはちがいます。
修学旅行はただの旅行とはちがうと私は思います。
そして、
スポーツを子供達にさせる親たちが落ちやすい落とし穴の存在について考え
ました。
特に強くなると、応援にも熱がはいり、だんだんおかしくなってきます。
学校行事や地域の行事などより、スポーツを優先し始めます。
学校行事で集まっても話題がそのスポーツのことに偏ります。
勉強ができて、おやが熱心になると非難されますが、
なぜかスポーツだと許されてしまいます。
スポーツは心身共に健全な子供達を育てるというからです。
こういうわけで、部外者の私ですが、割り切れない気持ちを持ち続けています。
長い拙文につきあってくれてありがとうございます。
(了)
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編集人ひとこと
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大人は子ども達にいろんな体験をさせたいと思い、いろんな企画を
しますよね。
その企画に対して子ども達はどんな思いで参加しているのでしょうか?
僕も教員時代にいろんな企画をし、行事を組んできました。
しかし、場合によっては、子どもの思いそっちのけで、カリカリしながら
行事の消化をしてきたこともありました。
そして、ふっと、子どもの心にふれ、反省させられることも、多々ありました。
「佐藤君のマラソン」というタイトルでコラムを書いたことがあります。
もし、お暇がありましたら、どうぞ、ご意見下さい。
http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums/marason.htm