ひどい話しですね。同じ中学校の教員をしているものとして恥ずかしくて顔から火が
出そうですよ。
この教師たちはこのことを通して生徒たちに何かを教えようなんて思ってはいません
よ。彼らにとって「学校に来る事」は生徒にとって義務であり、「不登校」は義務を
守らない不届きな行為であり、教師の権威への挑戦ともいうべき許すべからざる行為
なのです。直接彼らにこのことを詰問してもけしてこのようには答えないでしょう。
子供のためを思って不登校の原因を探っているんだとでも答えるのでしょうね。余計
な御世話です。そういう教師の態度が行きたくなくなる学校を作っているというの
に。不登校を生み出してしまったことへの悲しみもなく自分たちの日々の取り組みへ
の反省もなく、不登校になる生徒に原因がある。これがこの教師たちの実態でしょ
う。
生徒たちの優しさに比べ、なんという非情。冷酷な所業でしょうか。この生徒にとっ
て大きな転機ともなるかもしれないチャンスを教師たちはつぶした。
私の職場で数年前ある理由で学校に行かなくなった生徒がいた。この生徒はある事
件を切っ掛けに学校へ行く意味はないと感じ、今までの自分をいらないと感じ、生き
ていくことの意味を探した。半年後彼女は見つけた。津軽三味線。その演奏に出会っ
た彼女は習い始め。その演奏者として生きる事、そしてこの音楽を世界に広めたいと
願った。このことで彼女は学校にいくことの意味を再認識した。それは彼女にとって
必要な範囲で学校へ行くということだった。自分の興味のある授業の時間だけ彼女は
登校した。でも寡黙で級友ともあまり話さなかった。
半年後の文化祭に音楽の教師の勧めで彼女はステージで三味線の演奏をする気に
なった。文化祭は一日中体育館の第1ステージ・武道室の第2ステージ・音楽室の第3
ステージでバンド演奏や演劇などが繰り広げられ、同時進行で校庭や教室でさまざま
な展示や体験コーナーが生徒たちの手で実施されている。一日どこにいても自由であ
る。
彼女は一番小さな音楽室の小さなステージで1回だけ演奏することを決めた。
当日観客はたったの10人。でもすばらしい演奏だった。始めて彼女の演奏を聞いた
私も感動した。そして思った。この彼女の姿をみんなに見せたい。この演奏を皆に聞
かせたいと。ただちに閉会式のエンディングセレモニーに彼女の演奏をいれるべく文
化祭演技の部責任者の教員・教務主任・教頭・校長に相談した。みんなこころよく提
案に賛成してくれ、彼女もやる気になった。何も知らされない生徒たちはいきなり幕
の後ろから三味線の音が聞こえ、演奏が始まるとともに幕があがり、ライトに照らさ
れた彼女の姿を見て、同級生はもとより、会場の皆が熱狂に包まれた。
彼女はその後はあちこちで演奏した。老人ホームへのボランティアとして。幼稚園
へのボランティアとして。そして文化祭の5ヶ月後の卒業のお別れ会でも再び同級生
たちの前で演奏し、この時はタップダンスまで披露した。いつも怖い顔をして眉を吊
り上げていた優等生の彼女の姿(不登校になる前の姿)は、そこには微塵も感じられ
なかった。
中学卒業後の彼女は通信制の高校に通いながら津軽三味線に毎日取り組んでいる。
・・・・・・この話しは今も職員室で語り伝えられている。一人の生徒が自分の生き
る道を探しているときその旅立ちの手助けを出来た例として。これこそが今目指すべ
き学校の姿だと。
こんな学校もあることを。こんな教師もたくさんいることを知って欲しい。
(了)
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【5】編集人ひとこと
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学校行事というものは、子どもの生き方にまで影響を及ぼす場合が
あるんですねえ。
2回の「ゲストさんコラム」14と16で本当にそう感じました。
また、その際の家庭のあり方、これもじっくり考えておく必要が、
ありそうです。
どうぞ、みなさんも体験談や実践談、お寄せ下さい。