私には息子が一人います。彼は“結婚はしない”と言っています。個人の気
持ちですから、私は何も言いません。でも、「結婚しない」と言われると、私
はとても辛いのです。
彼は「心房中核欠損症」でした。小学校1年生の時に手術をしました。幸い
にも成功し、現在は普通の生活を送っています。
しかし、彼は結婚を拒否しています。理由は「心臓」しか考えられません。
彼の胸には「鉄の棒」が埋め込まれています。胸の傷跡は大きく残っています。
息子の心臓欠陥を聞かされたときはショックでした。なぜ自分は子供を勝手
に作ってしまったんだろう・・・嘆いても仕方ないことでした。自分の心臓で
よければ、息子にやりたかった。いまでも、すぐに息子の心臓を渡す覚悟はで
きています。それですむなら、こんな気が楽なことはありません。
何をしたって、私には息子に謝罪できないのです。そう、子供を作ったのは
「罪」だったんです。男の子が産まれた・・・嬉しかった!
馬鹿でした。子供のことを考えていなかったんです。今も、私は泣きながら
タイプを打っています。私には、どうすることもできません。私の命なら、す
ぐに捨てもかまいません。しかし、それが何になるんでしょうか。
子供が生きている嬉しさ・・・あなたは感謝したことがありますか。
おののきながらも、私は息子が生きていることを感謝しています。たとえ、
息子の病気が再発しても、生きていてくれれば感謝します。
息子のために私ができること・・・ご飯を食べさせ、布団を用意し、服を着せ・・
・後は何があるんでしょうか。「お前、もう心臓は大丈夫だから、心配
するな」とでもいうのでしょうか。私には言えません。苦しすぎます。
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私は保護者によく言います。
“あなたは、子供さんに頼まれて、子供さんを作ったんですか”
教員になったときから言っています。まさか、自分に言うことになるとは・
・・のぼせるとダメですね。
私は、子供たちと話をしますが、決して親には子供たちのことは話しません。
子供が了承しない限り、決して話しません。子供がいない場所では、保護者と
の話し合いは拒否します。電話で出欠の連絡は受けますが、それ以外の話は拒
否します。
子供は親の付属物でも・所有物でもありません。一人の人間です。子供の考
えを聞かないで、保護者との話し合いは、私にはできません。
私は「子供」が大好きです。どんな子も大好きです。友達になれるなら、ど
んなことでもします。時々子供たちと話をします。勉強ナシの日もあります。
(その日の学習内容はプリントに整理してあります)
勉強は「一人でもできる」と思っています。子供に「人生の目的」をもって
ほしいのです。目的さえできれば、後は子供一人でも学習はできます。高校受
験や大学受験は、どうでもいいことだと思っています。
教員時代、「俺のクラスから、一人でも学校を辞めたら、俺は辞職する」・
「俺のクラスから、カウンセリングが必要な子が出たら、俺は辞職する」と宣
言していました。これは、今でも宣言しています。
私は子供たちより年上です。子供たちが生きるために必要ならば、私は体を
はります。子供たちには、少なくとも私の年齢まで生きる権利があると思うか
らです。これは教員になったときに決めたことです。自分の子も、知り合った
他人の子も同じだと思っています。
私は生まれたことに感謝しています。しかし、子供たちがどう思っているか
を考えると、不安です。子供たちは、私達大人の年齢になるまで生きる権利が
ある・・・私の考えはおかしいのでしょうか。
以上です。
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【編集人ひとこと】
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■教員採用試験が近づいてきました。
受験される方々は大変な頃だと思います。
どうぞ、体を大切に、情熱を持って取り組んで下さい。
採用試験に関する感想や情報もどうぞお寄せ下さい。
僕も以前に採用試験に関するコラムを発信しました。
お時間があれば、見てくださいね。
【タイトル】「見せかけの身長」
http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums/saiyou1.htm