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【1】【ゲストさんコラムその44】------2001/04/07------
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・皆さんからいただいた教育に関するコラムです。
・教育の複眼づくりにご協力下さい。
・みんなで教育コラムの輪をつくりましょう。
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■本日のゲストさんは、「K」さんです。
「K」さんは中学校社会科の先生です。本当にたくさんのご意見をくださってます。
■4/4に僕が発信した「ゆずり葉」(お年寄りと情報化社会)に関連して寄稿をし
てくれました。
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【タイトル】「[ゆずり葉]に寄せて」
【テーマ】高齢化社会と情報化社会
【寄稿者】「K」さん(中学校の先生)
【関連コラム】
●「ゆずり葉
 http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums/yuzuriha.htm
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このコラムを読んだときの印象ですが、でこさんは「情報化社会の到来に否定的」
な印象を持ちました。昔は生きてきた年輪だけの子供に伝えるものがあったのに
今は孫に教えられる社会だという部分。そして老人が守られる保護される人にな
りつつあるという部分にその雰囲気を感じました。

僕は情報化社会の到来は良い事だと思うし、老人が疎外されたのは情報化社会の
せいではなく、これとは切り離して考えるべきだと思います(以下に僕の考えか
たの概略を書きます)。

情報化社会という言葉が何をさしているのかがあいまいですが、さまざまな情報
機器が進歩して世界中の情報が用意に伝達され、まるで世界が一つになっている
かのような状態の社会と仮に定義しておきます(百科辞典―小学館の日本大百科
全書―では「物や資本などの財力にかわって、知識や情報が優位になる社会」と
定義されていました。知識や情報の多寡が例えば起業するにも資本よりも必要な
状態の社会を指していますね。情報が世界を駆け巡るからこそ出来る事だと思い
ます)。

このような社会では社会の変化が著しく10年一昔どころか5年一昔にすでになっ
ているのだと思います。ですから知識の面でも誰かから教わった知識だけで安住
している人の知識はどんどん時代遅れになって行きます。親や祖父母から教わっ
ただけ。学校で教わっただけ。働きながら見聞きしただけ。そのような「受身の
学習」ではどんどん取り残されるということでしょう。

したがって今の状況では、自分からどんどん知識を求めていく姿勢が必要とされ
るわけです。

現在日進月歩している知識や情報から取り残されているのは、何も老人だけでは
ないし、老人だから取り残されているわけではありません。積極的に知識を求め
て行かない人が、取り残されているのです。

僕は情報化社会の到来は良い事だと思います。とても便利です。学校などなくて
も身近に教えてくれる人がいなくても、電子百科辞典があれば、インターネット
に接続できる環境があれば、自分でどんどん学べるのです。いまこうやってメー
ルで意見交換していることだって、個人が地域を越えて繋がることができるとい
う情報化社会のとても便利な面です。また例えば、先年のユーゴ空爆の時だって、
ヨーロッパ連合とアメリカは極端な情報統制を行って、非はすべてユーゴにある
かのような報道を流させ、NATOおよびアメリカの空爆は、ミロシェビッチ政
権を支える軍事施設だけをピンポイント爆撃しているという、嘘の情報を垂れ流
しました。でもその情報統制を打ち破り、大国の身勝手な論理の醜さを暴いたの
が、ユーゴ発のインターネットによるユーゴの一般市民のメールだったことは、
記憶に新しいと思います。

情報化社会は、世界をたった一人でも変えられる情報を発信できる力を個人に与
えたのです。

老人がないがしろにされ、その知識や経験が無視され、保護されるべきもののよ
うにされたのは、何も情報化社会の到来が原因ではありません。これはとりわけ
日本的な状況だと思います。
戦後の日本は世界中のどの国にも見られないほどの急速な「発展」を経験しまし
た。戦後50年で他の国なら200年かかった変化を一気にやってしまったので
す。
したがってその急速な変化に人々の価値観がついて行けませんでした。そして戦
後の「企業活動の完全な自由化」により、もうかるためならなにをやっても良い
風潮がその傾向に拍車をかけ、「古いものはなんでも悪く、新しいものは何でも
良い」という考え方が一世を風靡しました。その中で古い大家族は壊れ、核家族
という新しい老人抜きの家庭が大量につくられ、「古いもの」=「老人」=「い
らない」となってしまいました。結婚するときの女性の選択条件に「じじぬきば
ばぬき」なんてのが新しいと強調されたことも、この現象の一つです。
また政府や企業の雇用政策も、この風潮を強化しました。急速な技術革新に追い
つけない労働者はいらないとされ、どんどん雇用の現場から排除されました。
「窓際族」なんて言葉がはやったのもその一つです。

要するに、戦後日本の古いものはぶっ壊せという雰囲気が生んだ現象だと思うの
です。資本主義における技術革新の論理のもっとも露骨な発露といって良いと思
います
(現実には新しい技術は古い技術の再検討と再把握によって、つまり古い技術を
大事にすることによってしか生まれないのですが・・・)。この剥き出しの資本
の論理を統制する社会的な手段を、日本は持たなかった。宗教も家族もぶっ壊し
てしまった日本でこそ、古いものを全てすててしまう現象が生まれたのでしょう。
最近では、この行き過ぎの現象にたいする反省も始まっていると思います。

子供たちに高度な情報が必要かという問題ですが、必要とか必要でないとか言っ
てられる状態ではないと思います。子供たちはすでに、物凄い情報の洪水のなか
にいます。大切なのはこの洪水の中での泳ぎ方を身につけさせる事です。・・・
泳ぐというより、洪水から身を避け、必要な情報や大切な情報を取捨選択できる
能力を身につけることでしょう。情報には意図的に流された嘘だって入っている
のですから。
これがいわゆる「メディア・リテラシー」(情報の読み書き能力)だと思います。

今、学校現場や大人たちが、この問題をめぐって混乱しているのは、自分たち自
身が、この情報の読み書き能力が欠けている人が多いための混乱だと思います。
もっともっと、さまざまな問題についての情報を集め、問題を多面的にとらえ、
それについて正確な判断を、自分で下す必要があると思います。

(了)
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【4】編集人ひとこと
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■九州では、そろそろ、フキの季節です。
子どもの頃、採取したフキの「すじむき」をしていたことを思い
出します。これは、めんどうくさくて、いやだったなあ・・。
今は、すじむきもなんだか時間がゆっくり流れるので楽しみです。
採取・すじむき・調理・味わいと何段も楽しめる山菜とりは何歳
になってもやめられません。
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