種類を問わず、あらゆる体罰に反対です。
肉体的苦痛を受けたら、一生忘れることはできないでしょう。
精神的苦痛を受けても同じでしょう。
悔しいですよ、体罰を与えられるのは・・・私は今でもはっ
きり覚えています、教師の顔を。
教師も子供も、同じ人間であり、違いなんかありません。
というより、大人は子供の素直さに学ぶべき点が多いと思います。
●1.肉体的苦痛を与える体罰
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まず第1に、
教師が子供に与える体罰は→卑怯です。
子供が抵抗しないことを前提にしているからです。
教師より体格が大きな子供に、教師は決して体罰を与えません。
この人間として決して許されない行為←「弱い者をいじめる」
に子供が反発するとどうなるか。
極端な例は、昨年栃木県で起こった「女教師殺害事故」です。
子供は武器を持って教師に反抗するのです。
第2には、
犬の躾け論的発想による体罰。
→犬と子供は小さいうちに躾けなければダメだ。
“口で言ってもダメだから体罰を与える”という発想です。
私が最も嫌う「教員主人公型教育」です。
「教員は全てに正しく、子供は全てに教員より劣る」という考えです。
子供の行為を、教員の主観で「よい・悪い」と決めつけます。
子供がどんなに一生懸命した行為でも、
教員が気に入らなければ→悪い行動です。
肉体的苦痛を受けたら、
子供は謝罪するでしょう。
謝罪しなければ、さらに体罰を受けることが分かりますから。
子供が悪いなら、子供としっかり話をすればいいのです。
子供が自分が悪いことを認めれば、
それでいいのです。
子供は決して同じ事を繰り返さないはずです。
犬の躾け論には反対です。
子供との対話を避け、自分勝手に子供を操る考え方です。
子供と友達関係が作れないなら、
子供は教員に心を開いてくれないでしょう。
●2.精神的苦痛を与える場合
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まず第1に、
学校の存在目的を考えず、子供は登校(←問題のある言い方です)
するのが当然だという場合です。
学校が楽しく、自分の目的にかなった生活が送れるなら、
子供は学校が好きでしょう。
しかし、自分はどうして学校へ行く必要があるかを考えれば、
子供は悩むでしょう。まして、いじめなどが存在するならば、
学校へ行くことは苦痛でしょう。
教師が子供に、学校へ来ることの意義を話し、
子供に納得してもらわなければ、
こどもは「仕方ないから、学校へ行く」だけでしょう。
第2に、
教科学習・教科評定・生活態度評定です。
これは教師に全て責任があるとは言い切れません。
公的な決まりがありますから。
(本来は、教員が無くすための運動をすべきです)
中学生の場合、教師に逆らうと内申書に響きます。
これだけでも体罰です。
教師は、自分が教える教科を、
なぜ子供が学習すべきかを話すべきです。
どの子にも理解できる学習方法を考えるべきです。
苦手教科を学習しなくてはならないなら、
これは精神的体罰を与えていると言えます。
(了)
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【4】編集人ひとこと
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■わらび狩りに行きました。
おみそ汁に入れて食べるとうまいです。
少ししかない、たまにしかない、だから、うまいんでしょうねえ。
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