「はずれの教員」その1

 東京都が教員の5段階評価制度を2000年度から実施しようとしています。

 では今まで教員は他者から評価されていなかったのか、と言うとそうではありません。
勤め先の学校の校長が勤務態度などについて評価していました。
その評価は教育委員会が校長に指示するものです。
それを「勤務評定(きんむひょうてい)」と呼んでします。

 これは地方公務員法などの法律に基づいています。
ただし、評価自体が非常に難しいのです。
たとえば、遅刻や無断欠勤なら、はっきりとわかりますよね。
けれども、いわゆる先生の評価というものは、そんなものでは役に立つはずがありません。

 保護者サイドに立てば「いい先生」か「悪い先生」かを評価してもらいたいはずです。
それで重要なことは「いい先生」と「悪い先生」の区別がつくかってことです。
これは絶対につきません。
だって、どんな先生がいい先生か悪い先生か具体像がありませんから不可能です。

 もちろん、法律に触れるような行為をすれば別ですが、それは結果論にすぎません。
わいせつ行為をする教員なんて最低ですよ。
絶対に我が子の担任になってほしくないですよね。

 けれども実際にそんな行為をした教員がたくさんいました。
その時、校長はなんて言いましたか?
僕が知る限り「日頃はまじめな先生でした。まさか、そんな行為をするとは思いませんでした。」
としか言っていません。
だから校長に勤務評定を任せるのは全く無意味です。
最低の行為を行う教員さえ見抜けないんです。
ましてや通常の評価なんて不可能です。
これはその校長の責任ではなく、システムの問題です。
おそらく誰が校長になっても同じだと思います。
遅刻や無断欠勤ぐらいならタイムカードで十分ですから、現行の勤務評定は無くてもいいと思います。
評価段階を何段階にしようとも、罰則をつけようとも、僕は効果なしと思います。
今度の東京都の試みは自己申告がベースになるらしいのですが、無駄だと思うのです。

 では、校長以外に誰が評価するか。
またその評価は有効なのか。
さらに教員に評価は必要か。
いろんな問題があります。

教員についてはすでに僕たち保護者が評価しています。
するなって言われても必ずしています。

 校長より保護者の方が担任のことをよく知っている場合もあります。
実を言うと校長と担任が接する時間といったら本当に短いんです。
一日中校長と担任が話をしなかったなんてことは珍しくありません。
もちろん保護者はもっと少ないでしょう、けれど子どもを通じて間接的な関わりは大きいのです。
そしてその関わりから生まれる評価こそ保護者にとっては最も大切ですよね。

 世間話で、あるお母さんが僕の妻に言ったんだそうです。
「子どもの前じゃ言えないけれど、今年の担任、はずれだったわ。」

当時、僕は現役の教員でした。
そして、「はずれ」と言われた教員は僕のよく知っている先生だったのです。

その2に続きます)



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