坂下先輩は僕たち3年生を前にして、ことさら低い声で語りました。
その内容は大方こんなものでした。
「ずっと昔、この北門の裏に『おしのさん』という女の人が住んでいた。
おしのさんには、一人だけ子どもがいた。
その子どもが流行病にかかってしまった。
高熱におかされた子どもは、今にも死んでしまいそうなほど、ぐったりとしていた。
おしのさんは、子どもを背負い診療所へと急いだ。
診療所への近道は北門を通り、表通りにでるコースだった。
もし、北門を通らずに回っていけば、ゆうにその倍は時間がかかってしまう。
ところが、運悪く北門がおしのさんが通ろうとする直前に閉められてしまった。
どんどんどん、と門を叩き、守衛さんに『開けて下さい。』と懇願するおしのさん。
『子どもが死にそうなのです、お願いします。』と声をからすおしのさん。
しかし、守衛さんは「すみません、規則なのです。」を繰り返すばかり。
その内に背負っていた子どもが泣きやんだ。
その子はとうとう死んでしまった。
それからというもの、おしのさんは、死んでしまった子どもを背負って毎日北門にやってきた。
やがて、おしのさんも子どもと同じ病に冒され死んでしまった。
この北門には、おしのさんのうらみ・呪いがしみこんだ。
今でもその時刻になると「どんどんどん」と門を叩く音がする。」
坂下先輩の淡々とした声がかえって僕たちの恐怖心を増幅させました。
と、その時です。
唯一のあかりのろうそくの火が消え、どんどんどん!と門を叩く音がしたのです。
「きゃあー!」女の子達は声を上げました。
吉川先輩が「へへへ、どうや、こわかったやろう。」と言って懐中電灯を片手に出てきました。
「さあ、酒でも飲むか!あれっ!ミコ、どうしたんや、泣いてるやんか。
そんなにこわかったんか?」
僕と同級生のミコは、吉川先輩の方を見て答えました。
「すみません、泣いちゃって。雰囲気が白けちゃいますよね。
でも、怖かったんじゃないんです。
何だか、そのおしのさんっていうお母さんがかわいそうで、、。
死んじゃった子供さんもかわいそうで、、。
守衛さんもかわいそうで、、。
怖いなんてお話じゃなくて、、。
なんていうか、、かわいそうで、かわいそうで、、。」
ミコはまた目頭を押さえました。
僕はハッとしました。
そう言われれば、そうなんです。
恐怖や呪いというよりも、悲しい、つらい、そんな話だったのです。
考えれば、怪談はほとんど同じなのではないでしょうか。
人間の運命の悲しさがあればこそ、成り立つ話だと思うのです。
だとすれば、怪談を楽しむ人間の感性というものこそが、恐ろしい怪談なのかもしれません。
「かわいそう」より「怖い」を味わってしまう、楽しんでしまう悲しさがあるような気がします。
僕という人間の中にある残酷性なのかもしれません。
僕は、おしのさんの話を恐ろしい話と受け止めて、楽しんだのですから。
もしも、その話が実話だとすれば、僕はおしのさんに大変ひどいことをしているのです。
今回、僕に届いた「呪いのメール」。
僕は化学ゼミでのきもだめしを思い出しました。
そして、子どもの頃に届いた「不幸の手紙」同様に、このメールもすぐに削除しました。
将来、もしかすると我が子にも同じような手紙やメールが届くかもしれません。
その時、僕はこの「ゼミでのきもだめし」を話すつもりです。
(了)