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■「校長と校長先生(1)」-2000/07/03-
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「後悔というか、忘れられないことがあるねえ。」
着任したばかりの神田校長は僕たち若手の教員を前に、話を始めました。

「まだ若かった頃でなあ。
 君たちより若かった頃の話や、、。」

神田校長は湯飲みを両手で包み込みながら、遠くを見るような目で話しました。
「食事でもしながら話そうや。家においでよ」という言葉に誘われ、僕たちは神田校
 長のお宅におじゃましていたのです。

「新卒の頃に、なんべん言うても、忘れもんの減らん、わんぱくがおってなあ。
 その日も作文の忘れもんや。
 毎日毎日、忘れもんや。
 こりゃあ、何とかせにゃいかん、と思うて、作文、家に取りに帰らせたんよ。」

今度は僕たちに視線をむけて、言いました。
眉間にしわを幾分よせて苦々しそうに言いました。

「そして、しばらくしたら学校に電話がかかってきてなあ。
 用務員さんが、先生、大変や、と呼びに来てくれた。」

実はなあ、、とため息混じりに続けてくれました。

「その子が帰る途中に交通事故にあってしまったんや。
 わしは、顔から血の気が引くという経験をその時初めて味わった。
 幸い、たいしたけがじゃなかったんやけどなあ。
 今は忘れもんを取りに帰らせる先生はおらんよね。
 けど、その頃はけっこう当たり前のように取りに帰らせよったんよ。
 、、、思うたね。
 教員は、先の先までいろんなことを想像せんといかん。
 子どもに指示をする、その指示がどんな影響を及ぼすか、、。
 先の先を考えることは臆病でも何でもない、責任や。」

その日、僕たちは、たくさんの話を聞きました。
体罰の苦い思い出、保護者との口論、先輩先生とのつきあい方、、、。
授業でのいきづまり、子どもの気持ちをくめなかったことなどなど。
そのほとんどが、失敗談でした。

最後に神田校長はこう言いました。
「まあ、そんなこんながあって今に至ったわけや。
 わしは自分でも、だめな教員やったと思っとる。
 けどな、『名選手、必ずしも名監督ならず』ちゅう言葉もあるくらいや。
 今までの失敗は校長としてのこれからの肥やしや。
 わしも、やる。
 君たちもやってくれ。
 一緒に進もうや。」

ためになったなあ、、それが素直な僕の感想でした。

そんな神田校長を知る僕にとって、現代教育新聞「ニュースレター」の記事は
残念というより、ショックでした。

東京都が全国初の民間人校長起用を決めたというのです。

その(2)につづきます)

参考記事:ニュースレター6月29日号
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■関連コラム項目「管理職
http://www.yukichi.ne.jp/~deko/sakuin.htm#kanrisyoku



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