僕たち若手の教員は神田校長から教員時代の失敗談を聞きました。
「一緒に進もう。」という言葉が身にしみました。
そんな神田校長を知る僕にとって、現代教育新聞「ニュースレター」の記事は
残念というより、ショックでした。(参考記事:ニュースレター6月29日号)
「東京都が全国初の民間人校長起用を決めた」というのです。
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子ども達は校長を「校長先生」と呼びます。
ほとんどの保護者も「校長先生」と呼びます。
教員だって多くの場合「校長先生」と呼びます。
その背景には、校長が今まで経験してきた「先生」時代があるからだと思います。
教壇に立ち、子どもと語り、保護者と接し、教員仲間と討論した時代があったのです。
まさに、その意味でこれまでの校長は「校長先生」だったのです。
その時代がない校長は「校長」であっても「校長先生」ではないと思うのです。
子どもと直に接する学校という「現場」において必要なのは「校長先生」です。
僕はそう確信しています。
プロ野球の監督さんを見てください。
どの監督さんも選手時代の苦しさ・喜びを知っていますよね。
知っているからこそ、部下である選手の適正がよくわかるのでしょう。
悩んでいる選手にいいアドバイスが送れるのでしょう。
この選手は積極的だから3塁手に、この選手は頭脳的だから2塁手に、、。
そんなふうに適材適所も可能だと思うのです。
現場での指導者・管理者には、現場での経験が大きな力となるはずです。
もちろん現場にいない球団社長やオーナーには現場経験は不必要なのでしょう。
しかし、選手経験のない監督が存在しますか?
その意味で、現場にいない教育委員長や教育長は教職経験無しでもできるでしょう。
しかし、現場は違います。
子どもの歓声・泣き声・汗、教職員の苦悩・喜び、それらが毎日生まれるのが教育
現場なのです。
自身の経験をふまえ、子どもを考え、先生の適正を見抜く。
「我が校の2年生はこんな特色がある、ならば、あの先生に担任してもらおう。」
そんな判断をスムーズに下せるのは「校長先生」であるはずです。
部下の教員からみても、頼りになるのは「校長先生の経験」でしょう。
民間の力や知恵を借りるということは学校教育において大きな力となるはずです。
しかし、そのことと民間人を校長にするということとは次元が違うと思います。
ただ、現在の学校教育がうまく機能していないからこそ、こんな方法が出てきたのも
事実でしょう。
僕は今の校長は力を発揮できにくい状況にあると思います。
極端に言えば、日本には「校長はいない」状況だと思うのです。
もっと、教育委員会や文部省に対して発言できる力を校長に与えるべきだと思います。
そして、一国一城の主としての「校長」としてがんばってもらいたいのです。
責任と力を持った「校長」、そして現場を知る「先生」としての経験。
この2つが合わさった時、「校長先生」が生まれるのだと信じています。
(了)
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