僕たちは、思い出の足跡を残して「今」を生きています。
年数をかけ、少しずつ、何らかのものを積み上げてきたわけです。
そして、アルバムの写真を見て懐かしむように、
何らかの形で「残してきたもの」を「思い出の存在」として確認するわけです。
でも逆に「なくなってきたもの」を大切な「思い出の存在」にする場合もあるんですね。
僕は、それを、ますみちゃんから学んだのです。
喜田ますみちゃんは当時、小学校6年生の女の子でした。
おとなしい性格で授業中の発表などは、どちらかというと苦手。
習字が大好きで、いろんなコンテストで「賞」をもらっていました。
かといって、それを威張ったような態度をとるような子ではありませんでした。
面倒見がよくて、転入生のお世話などすすんでするような、そんな女の子でした。
僕はと言えば、まだ若手の教員でした。
その時の僕は中休みを利用して「紙芝居」を作っていたのです。
ますみちゃんはできていく「紙芝居」をちらちら見ながら、教室で本を読んでいました。
「喜田さん、すまんけど、色鉛筆かしてくれん?」
教卓のすぐ前の座席のますみちゃんに、僕は声をかけました。
「うん、いいよ、先生。」
ますみちゃんは気さくに言ってくれました。
「あっ、でも、、、。」
ますみちゃんは、少しとまどったようなのです。
色鉛筆を貸すのがいや、というような顔ではありません。
「いいよ。」と言いながら、すぐに「でも、、。」と変わっちゃったますみちゃん。
僕は、不思議というより、「なぞなぞ」を与えられたようなわくわく気分になりました。
「どうしたん?」と僕は聞きました。
ますみちゃんは、少しだけ時間をおいて、照れくさそうに言いました。
「先生、ちょっと、手を合わせてみて。」
「えっ?」
ますみちゃんは教卓の横に来て、手のひらを僕の方に向けました。
「早く、先生、早く手を合わせてみてよ。
私と手の大きさ比べようよ。」
ますみちゃんが与えてくれた「なぞなぞ」はさらに深まっていきました。
教員という仕事の醍醐味の一つは子どもが与えてくれる「なぞなぞ」です。
僕の「わくわく感」も増幅してきました。
そして、後でわかったその答えは、実に暖かくうれしい答えだったのです。
その(2)に続きます。
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