僕は答えを聞いてびっくりしました。
小1の子がこんな答えを出せるのか、と思ったのです。
僕にとってその答えは実に素敵でした。
それは、どんな哲学者も科学者もかなわない、そう僕に思わせるものでした。
めんちゃんはこう言ったのです。
「最初に作ったのは絶対にニワトリや。」
「ふうん、なんで、そんなふうに思うん?」
「ニワトリがおらんやったら卵からかえったヒヨコのお世話はだれがするん?」
「えっ。」
「そうやん、エサをあげたり、羽をそろえたり、ワシから守ったり、だれがするん?」
「あっ、本当や。」
「そうやろ、もし卵が最初やったらヒヨコがニワトリになる前に死んでしまうやん。」
「すごい!」
「だから、なんでもいっしょや、親がぜーんぶ最初や。」
めんちゃんの「親がぜーんぶ最初や。」のこの言葉。
僕の頭の中にしっかりと刷り込まれました。
そして、めんちゃんの親に対するほんのりとした思いがわかりました。
僕たち保護者はいろんな場面で子どもに期待してしまいます。
しかし、その前に保護者は子どもから期待されているのです。
生まれたときから、いや生まれる前から子どもは保護者に大きな期待を持っているのでしょう。
そのことを忘れてはいけない、それを、めんちゃんから再認識させられました。
期待する前に、期待に応える保護者でなければなりません。
「親がぜーんぶ最初や。」と言っためんちゃん。
彼女もいつか親になるかもしれません。
もしできるものならば彼女の育てたヒヨコを見てみたいなあ、僕はそう思いました。
こうして僕の中で「鶏卵の問い」は終止符をうったのです。
(了)