暖かい湯気のむこうから、おじさんがいつものように聞きました。
「麺はいかがしましょうか?」
「硬めでお願いします。」
僕はそのラーメン屋台に飲み会の後、かならずと言っていいほど顔を出していました。
屋台は営業の終わったバスターミナル前で夜9時頃から開店するのです。
屋台の席だけでは足らず、周囲のイスやガードレールに座っているお客さんがいつもいました。
繁盛している屋台でした。
僕の知る限り、町には屋台は1つしかありませんでした。
おじさんの詳しい年齢はわかりませんが帽子から少し見える髪は白髪でした。
「そうですか、先生やってるんですか。」
「はい、まだ新米ですが、、。」
「先生だったらわかってくれるかもしれないなあ。聞いてくれますか?」
「えっ、何のことですか?」
「心と体のことなんですがね。私の体験なんです。」
できあがったラーメンをすすりながら、僕はおじさんの話を聞きました。
「私は屋台を引く前、ある仕事に就いていたんですよ。」
ある仕事ってなんですかと聞こうと思いましたが、話のこしを折りそうなのでやめました。
「その仕事、クビになっちゃたんですよね。」
おじさんは、忙しそうに手を動かしながら、話を続けてくれました。
「お客さん、若いから知らないかも、、。いや先生だったら知ってますよね、レッドパージですよ。」
おじさんは続けました。
「私は純粋な共産党員ではなかったんですがね。
引っ張られましてね。
その後は、どこも雇ってくれなくて、、。」
「そうですか、そんなことがあったんですか、、。」
「妻と2人で苦労しましたよ。
本当につらい、つらい毎日でした。
近所の人達も変な目で見るんですよ。
それまで、仲良くしていた人達がですよ、、。
手のひらを返したようにね。
くやしくてね。
そして、たくさんの人を恨んでしまう自分が情けなくて、、。
そう思いながらも、やっぱり、恨んでしまうんです。
仕事がないから、当然、収入なしです。
実家や親戚に頭を下げて助けてもらったんですが、、。
それでも何日も食べなかったこともあります。
何とか、屋台を手に入れたんです。
けれど、ど素人の私と妻が作ったラーメンです、売れません。
何度、2人で泣いたことかわかりません。
でも、妻と2人だから乗り越えてこれたんです。
2人で死にものぐるいで作り上げてきたラーメンです。
おいしい、おいしくない以前に執念みたいなラーメンでしたよ。
まがりなりにも屋台にお客さんがつき始めた頃でした。
妻が倒れたんですよね。
ガンだったんです。
これからって時だったのに、。」
おじさんは淡々と語ってくれました。
話の内容とおじさんの口調とのギャップは、僕から言葉を奪いました。
「医者から妻がガンだって聞かされた時、目の前が真っ暗になりましたよ。
もう人生おしまいだって思ったんですよ。
次の日、鏡を見たら、どうなっていたと思いますか?」
僕は黙って首を横に振りました。
「あんなことってあるんですね。たった1日で髪の毛が全部真っ白になったんですよ。」
その(2)につづきます。