ラーメンの屋台を営むおじさんは自身の体験を話してくれました。
レッドパージ、失業、近所の視線、極貧、奥さんのガン宣告。
彼はガン宣告に対して一夜にして髪の毛が真っ白くなったと教えてくれました。
「本当に心と体はつながってるんだと思いましたよ。
髪が白くなるなんて、小説の世界だと思ってましたから。
お客さん、先生だったら、生徒さんの心を大事にしてやって下さいよ。
いい時代に生まれた生徒さん達だし、素直だと思いますよ。
そして、奥さんもね。
妻は、私の白くなった髪を見て『ごめんね。』って言ったんです。
うすうすガンだって気づいてたんでしょうね。
このラーメンの味は妻とつくったものなんです。
だから、絶対に変えません。
つまんない話をしてごめんなさい。
先生って聞いたもんで、ついつい話してしまいました。」
壮絶な人生だと思いました。
僕のように平和な時代に生まれ、飢えることもなしに育った人間には想像すらできない人生です。
その苦労をかいくぐってきたおじさんも教育に期待しているのです。
僕という個人に話したのではありません。
彼は「先生」に人生を話したのです。
「生徒さんの心を大事にしてやって下さいよ。」と言ったのです。
おじさんは保護者でもなんでもありません。
しかし、人生を通して、心のあり方を教員に問うているのです。
教師とはそれほどまでに重い期待を背負っているに違いありません。
彼は奥さんと作ったラーメンの味を変えることはないと言いました。
この味は彼と奥さんの人生がすべてつまっているのでしょう。
そこに、彼の譲れない人生があります。
しかし、彼はお客さんに必ず聞きます。
「麺はいかがしましょうか?」
実は、ここにこそ彼の真骨頂があると思います。
学校の教員も、譲れない教育ポリシーがあるはずです。
しかし、それだけに固執しては窮屈になりすぎます。
子どもも保護者も「麺はいかがしましょうか?」という姿勢をどこかで持ってほしいと願っているのです。
こだわりと柔軟性、この相容れない2つをいつも意識すること。
誇りと謙虚さを同居させること。
もちろん、これは保護者にも求められていることでしょう。
屋台で知った壮絶な人生、それは教員への大きな期待を教えてくれました。
そして、教育の在り方を考えさせられました。
僕はその町を遠く離れました。
だから、おじさんの屋台に行くことはなくなりました。
結局、いまだに彼が前にしていた仕事を知りません。
「あのおじさん、先生だったかもしれないなあ。」
なんとなく、そう思っています。
(了)