カモやガンなどは、ひなのある時期に目の前で動くもの見て、「親」だと認識してしまう。
そんな話を聞いたことがありませんか?
僕は、人間を親だと思いこんで、ぞろぞろついて歩くカモの子どもをテレビで見たこともあります。
ローレンツという学者さんは、このことを「刻印づけ」または「刷り込み」と名付けました。
「刷り込み」は、親さえも間違って覚えてしまうように、その後の成長に大きな影響を及ぼすのです。
また、そのように影響を受ける時期を「臨界期」とよびました。
人間は鳥などに比べ、大人になるまでに、はるかに長い時間が必要です。
だから、「臨界期」があるとすれば(僕はあると思っています)、かなり長いのではないかと思います。
僕にも当然「臨界期」があり、たくさんの「刷り込み」があったんだと思います。
僕自身が意識していなくとも、それは確かに存在していたと思います。
そして、その中には、忘れることのできない「刷り込み」があるのです。
それは1972年、冬のことでした。
僕はまだ小学生、家族といっしょにお茶の間でテレビを見ていたのです。
その時、テレビに映し出されている映像は、家族団らんで楽しむといったものではありませんでした。
そこには、旅館のような建物が映っていました。
もう何日間か同じような映像を見ていた気がします。
大きな鉄の玉が画面に現れ、その建物を壊し始めたのです。
その大きな音、また、時折、聞こえる銃声。
放水し、催涙ガスを使う警察の姿。
どれをとっても、実に異様な映像だったように記憶しています。
その時、僕らが見ていた映像は「あさま山荘事件」の現場だったのです。
若い方はご存じないかも知れません。
それは「連合赤軍」という政治・思想集団の学生が起こした恐ろしい事件でした。
彼らは長野県の軽井沢の「あさま山荘」に人質をつれ、立てこもったのです。
ライフル銃などで武装した彼らは警察に向かって発砲します。
誰の説得にも耳を傾けません。
何日も何日も、籠城を続けました。
後で知ったことですが、10日間、立てこもっていたのだそうです。
そして、2人の警察官が命を落としました。
また、彼らは、何と仲間内でも殺人を犯しあっていたのです。
その数は14人にものぼったのだそうです。
おそろしい犯罪をリアルタイムで見る、それは僕にとって初めての体験でした。
人の命を何とも思わない不可解な心理、説得の無力さ、警察の決断、、。
もろもろの現実が小学生の僕を直撃したのです。
しかし、僕にとっての忘れ得ぬ「刷り込み」は、その事件そのものではありません。
その時、一緒にいた両親の反応こそが、まさに「刷り込まれた」のです。
その(2)につづきます。