僕の問いかけに、よっちゃんは答えました。
「センセ、うちのおかあちゃん、勉強せえばっかりや。
僕の顔をみたら、いつでもや。
テレビがこれからおもしろうなるっちゅう時でも、おかまいなしや。」
よっちゃんは小学校5年生の男の子。
お母さんが「良英は口から先に生まれた子」と言うほどお話上手。
僕は「理論派よっちゃん」とひそかに呼んでいました。
「うん、うん、うちもよっちゃんの所と一緒や。
勉強、勉強や。」
「そうやそうや、うちなんか塾から帰って一休みしとったら、いきなり
勉強せえ言われたこともあるで。」
口々に賛同する子ども達。
どうやら、「勉強せえ」が圧倒的に「いやになる言葉」第1位のようでした。
「そしたら、何で(なぜ)お家の人は勉強せえって言うんかなあ?」
僕はさらに問いかけました。
「あんな、そりゃ将来のためやっち、おかあちゃんは言うんや。」
理論派よっちゃんは続けます。
「大人になって、やりたい仕事をするには、勉強して大学までいかんとできん。
そう、おかあちゃんは言うんや。」
それからみんなの話題は「学歴社会」へと及んでいったのです。
実は「学歴社会」という言葉も担任である僕が教えたわけではありません。
ある子どもの発言の中に出てきた言葉なのです。
小学生までが使う言葉になっていたんですね。
しばらくして、よっちゃんが言いました。
「さっきからずっと黙っちょるけど、センセはどう思っちょるん?」
「うーん、先生は学歴社会には反対やなあ。」
「えっ、ほな勉強せんでいいち、いうこと?」
「いや、そういう事じゃないよ・・。」と僕が答えようとしたときです。
理論派よっちゃんの強烈なひとことが僕に襲いかかってきました。
そして、そのひとことは僕のその後の人生にも大きく影響したのです。
もちろん、その時はそんなことは思いもしませんでしたが・・。
「第一、先生、大学行ってるんやろ?」
「言われて嫌な言葉」という僕からの問いかけは「学歴論争」になり、
さらに、クラスの中のただ一人の大学経験者である僕への問いかけに変わって
きました。
「教員なりたてホヤホヤ」の僕は冷や汗をかきました。
こうして、第2幕へと進んでいったのです。
その(2)につづきます。